2016.2.14 池生神社9 建国記念日
ところで、2月11日は休日でしたよね。カーラジオから聞こえてきた「今日は何の日か知っていますか?」という問いかけに、一瞬「あれ?なんでお休みなんだっけ?」と戸惑って、「ああ、建国記念日だった」と思ったのですが、神武天皇が天孫・ニニギノミコトの曾孫だということも、紀元前660年1月1日に即位したということも真っ赤なウソなのに、どうして2月11日が建国記念日になっているのだろう?と疑問が湧いてきました。
そこで調べてみると、
紀元節は、古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日をもって定めた祭日。日付は2月11日。1873年(明治6年)に定められ、1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)の意向で廃止された。この2月11日の日付は、日本書紀で神武天皇が即位したとされる紀元前660年(神武天皇元年)1月1日 (旧暦)の月日を、明治に入り新暦に換算したものである。紀元節廃止の後は復活の動きが高まり、1967年(昭和42年)に2月11日は「建国記念の日」として国民の祝日となった。
なお、現在の歴史学では、考古学上の確証がないことや、古事記や日本書紀のその神話的な内容から、神武天皇(古事記では137歳、日本書紀では127歳まで生存とある)が実在した人物かも含めて、その筋書きをそのままの史実であるとは考えられていない。(wikipediaより)
ということなのだそうです。
私は、古代の天皇たちが100年以上もの長寿だったということを知った時、最近まで70歳まで生きれば「古稀」で「古来稀なる長寿」だったはずなのにそれはおかしい、ウソなのではないかと思ったのですが(^_-)、GHQも、「紀元前の人が100年以上も生きていたなどということは常識的にあり得ない」と考えて廃止させたのでしょうか(^o^)? 日本をおかしな方向に導いていったのはこのウソに基づいた「国家神道」だったようですから。
出雲探訪で、神代のアマテラスの息子の代から続いているはずの出雲大社の宮司さんがまだたったの84代目だということを知って『古事記』のウソをさらに確信したのですが(^_-)、
1948年に廃止されたはずのこの「紀元節」のオオウソは、1967年には「建国記念日」として復活してしまい、またもや日本人をおかしな方向に向かわせようとしているようです<(_ _)>。
確証がなくても、常識的にあり得なくても、年代の計算が合わなくても、見直しもしなければ訂正もせず、臆面もなく「建国の日」と強弁し続けているのは、年代も合わないし確証もない古墳を、実在さえしなかった架空の天皇にまで割り当てて「○○天皇陵」と強弁し、調査もさせずに囲い込んでいるのと全く同じですね<(_ _)>。
たとえば、6世紀初めに造られた大仙古墳が4世紀の架空の仁徳天皇の陵とされ、5世紀に造られた太田茶臼山古墳が6世紀(531年)に亡くなった継体天皇陵とされているというように・・・・
太田茶臼山古墳
この「紀元節」が神話を元に2月11日に定められたのは明治6年だそうですから、これを定めたのは、「○○天皇陵」を定めたのと同じ、本居宣長の『古事記伝』と平田神道を利用して「国家神道」をデッチあげ、自分たちの権威を高めようとした神祇官たちだったのではないでしょうか。
神祇官は明治5年に諏訪大社の神官の世襲を廃止し、3世紀頃から世襲してきたタケミナカタと守矢氏の子孫に代えて神社本庁から神官を送り込んでいますが、これは諏訪大社が『古事記』の「国譲り神話」とは全く違う、神祇官や「国家神道」にとっては不都合な本当の歴史を伝えていたからだったのだろうと思います。なぜなら出雲大社や高麗神社の宮司さんは現在まで世襲を廃止されていないのですから(^_-)。