2016.2.12 池生神社7 八杵命・妻岐萩命と磐裂命・根裂命
6年前にはタケミナカタの13人の子のうちの八杵命と妻岐萩命の二人の行方を知ることはできなかったのですが、関東地方には大国主を祀る神社がたくさんあることから、長野県内では見つからなかった八杵命と妻岐萩命はひょっとすると関東地方に進出していたのかもしれないと考え、2012年に岩瀬の熊野神社と羽黒香取神社の「いわきりさま」を見て、このいわきりさまは常陸に進出したタケミナカタの子孫なのかもしれないと思いました(^o^)。
「磐裂命・根裂命」や「いわきりさま」という名前は、鉄の文化と鉄製の農具を持ってやって来た「開拓の神」にふさわしい名前ですし(^_-)、地元では大切に祀られていたようですし、
栃木県では星宮神社と一緒に祀られていましたから、
この「磐裂命・根裂命」はひょっとするとタケミナカタの子の「八杵命と妻岐萩命」なのかもしれないと考えたのです(^o^)。
関東地方には大国主を祀る神社や星宮神社がたくさんあって、甕星香香背男(ミカホシノカカセオ)を盟主とする東国33のクニグニが、天津族の東征に対して最後まで抵抗してフツヌシやタケミカヅチの軍と戦ったことが、フツヌシを祀る香取神宮・タケミカヅチを祀る鹿島神宮・タケハヅチを祀る日立大甕(ひたちおおみか)の倭文神社や笠間の石井神社などたくさんの神社に由緒やお祭りとして残されています。大甕(おおみか)の「甕」は「甕星」の「甕」そのものですしね(^o^)。
このことについては「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第5章の1「甕星香香背男とは?」をご参照ください。
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カカセオとタケハヅチの戦いを伝える笠間・石井神社の由緒
カカセオとタケミカヅチの戦いを伝える草懸神社の由緒
水戸市の大洗磯前神社はオオナムチ(大国主)を祀っていて、大洗さまの側室の娘の一人が有賀神社に嫁いだという具体的な伝承やそれを表すお祭りが残っていますから、タケミナカタの子孫達が関東に進出していたのは間違いありません(^o^)。
以前、ミカホシノカカセオは実在の人物だったのではないかと考えていた時、pcat2sさまがカカセオの子孫が実在していらっしゃることを教えてくださったのですが、この大洗神社の有賀祭のことを教えてくださったのもpcat2sさまでしたね(^o^)。
有賀祭の由来を読んだ時、私は「大洗さまの側室の娘の一人」という記述に違和感を持ちました。カミサマには側室がいて子供もたくさんいたということのようだけれど、実際に娘が生まれていたのであればこの「大洗さま」は祭神のオオナムチのことではないようだ、と。
どこの神社にも巫女がいますが、その他に神社にはカミサマの側室も大勢いたということなのだろうか?それでは巫女と側室はどういう関係だったのだろう?と疑問に思って調べてみたら、「巫女は神官の側室であったので、むやみに巫女の数を増やしてはならないという条例が出されたこともあった」という説明が出てきてビックリして目が点になってしまったことがあったのですが(^o^)、「巫女=神官の側室」であったなら、どの神社にも巫女がいたことも、そこに娘が生まれていたことも、その娘を地元の有力者に嫁がせて姻戚関係を結んでいたことも、なんの不思議もありませんね。神官はその地の支配者であった祭神の子孫が世襲していたのですから(^_-)。