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池生神社14 一子相伝3

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2016.2.19 池生神社14 一子相伝3

 

一子相伝で伝えられたことは、他人はもちろん兄弟にさえもらしてはならなかったのだそうです。すると、これは人を選びますよね。記憶力に優れ、責任感が強く、口が堅くて健康な人でなければならないわけです。病弱で次の代に伝える前に亡くなってしまったのでは全てがそこで途切れてしまうわけですから。

 

司馬遼太郎氏に「重要な事項については話せない」とおっしゃった富氏も、神長官が廃止された後自分が伝えられたことを墓場に持って行ってしまった76代神長官の守矢実久氏も、きっとそういう方だったのでしょうね。・・・・全く知らない方々ですから、これは私の想像ですが(^_^.)


『生きている出雲王朝』には、一族の中から適した子が幼少時に選ばれ、長い年月をかけて語り伝えられるのだと記されていました。この役目に選ばれた富氏は本家の養子になって伝えられたそうです。
 

先日池生命の子孫が名乗っていたという「神姓」は「カミ」ではなく「ミワ」と読むのではないか?と書いたのですが、『神長官守矢史料館のしおり』を読み直してみたところ、「カミ」でも「ミワ」でもなく、「ジン」と読むことが分かりました(^o^)

 

諏訪大社で行われていた数多くの祭祀で大祝の分身を務める童子は、内県(ウチアガタ・旧諏訪郡一帯)、外県(トノアガタ・旧伊那郡一帯)、大県(オオアガタ・信州一円)の神(ジン)氏からそれぞれ1年毎に選ばれていたと記されていたのですが、これは信州内のタケミナカタの子孫である全ての神(ジン)氏の中から大祝の分身候補としての童子が選ばれていたということかもしれません。

 

一族の中から選ばれて大祝(生神)の分身を務めるのは8才くらいの童子で御神(おこう)と呼ばれたそうです。これを読んだ時、祭祀になぜ分身が必要なのだろう?その分身を務めるのはなぜ幼い子供なのだろう?1年毎に広く一族から選ぶのは何のためなのだろう?と疑問に思ったのですが、これはタケミナカタの一族の全ての子供たちの中から一子相伝の役目に最も適した性格や能力をもった子供を選んでいたということを示しているのではないでしょうか?

 

というのは、神長官家が一子相伝で伝えてきたのは神長官の系譜や、祭祀で神長官が果たすべき神事の秘法などであって、生神(タケミナカタの子孫)の系譜や歴史ではなかったからです。大祝と神長官は全く別の家系なのですから、それぞれの系譜や歴史は、それぞれの子孫に、それぞれの祈祷殿で一子相伝で伝えられていたのではないかと思うのですが(^_-)

 

生神の地位に就いたタケミナカタの子孫が統治と口伝を受け継ぎ伝える役目を兼ねることはできなかったでしょうし、その生神が記憶力の優れた適格者だったとは限らないわけですから(^_-)、生神は生神として現世の統治に当たり、口伝の伝承には一族の中から選んだ資質のある子を生神の分身の御神(おこう)として幼少時からその任に当てて語り伝えていたのではないでしょうか。

 
 

ところで今朝、御柱祭で各地区が引く8本の柱の抽籤があったことが報じられていましたが、今年は7年に1度の御柱祭の年なのですね。このブログを始めたのは2009年だったのですが、その時もテレビで御柱祭の報道を見て諏訪に興味を持ち、10月に諏訪に出かけたのだったということを思い出しました(^o^)

 

諏訪大社本宮の一之御柱 

イメージ 1

7年前にここに行った時にはこの柱は立てられたばかりだったわけですね。この柱が8本の中で一番大きい木のようです。去年行った時には史料館に寄る時間しかなかったのですが、あれから7年経った今、この御柱がどのようになっていたか見てくれば良かった(^o^)

 
 

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