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Channel: 歴史探訪
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池生神社

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2016.2.5 池生神社

 

このブログを始めたのは2009年の春だったのですが、関東地方で謎解きを楽しんでいるうちに関東地方には「大国主命」やその子孫を祀る神社が多く、由緒などに残されているその足跡が具体的なことなどから「大国主命」は実在の人物だったのではないか?と考え始め、それがだんだん確信になってきたので、大国主命が実在の人物だったのならその息子の事代主命と建御名方命も実在したはずだと考えて、2009年の秋に建御名方命を祀っているという諏訪に海の痕跡とタケミナカタの足跡を探しに出かけてみました。

 

諏訪に向かう途中の佐久で、思いがけずタケミナカタの息子のオキハギノミコトを祀る神社に遭遇したのですが、その時の私はタケミナカタに子供がいたことを知りませんでしたし、『古事記』では神代の国譲りの際にタケミカヅチに負けて命からがら諏訪に逃げて行ったとされている「神話のタケミナカタ」が、諏訪で普通に妻子と暮らしていたなどと考えてみたこともなかったので、「え~っ???」と驚きながら、やっぱり実在の人物だったようだと思いました(^o^)

 

新海三社神社

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諏訪に閉じ込められたはずのタケミナカタには息子がいて、その息子が佐久地方に初めて田を拓いたカミサマとして父のタケミナカタや伯父のコトシロヌシと共にこの神社に祀られているというのですから、田を拓いたオキハギノミコトも、その父のタケミナカタも、伯父のコトシロヌシも、祖父の大国主命も実在の人物だったに違いありません(^o^)

 

でも、この伝承が伝えているのはオキハギノミコトが初めて佐久地方に稲作を導入したということですよね?それなら、このオキハギノミコトも祖父の大国主命も、神代ではなく稲作が始まった弥生時代の人だということではありませんか!

 

思いがけない展開になってきたので、オキハギノミコトは本当にタケミナカタの息子なのか?と半信半疑で諏訪大社に行ってみたところ、下社・秋宮に建御名方命の13人の子を祀る若宮社があって、その13人の子の名前の12番目に確かに佐久のオキハギノミコトの名前もありました。オキハギノミコトは本当にタケミナカタの子供だったのです(^o^)

 
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それではタケミナカタには13人もの子供がいたんだ!やっぱり大国主もタケミナカタもオキハギも、みんな実在の人物だったんだ!とこの展開にはちょっと興奮してしまいました\(^o^)/。

 

その経緯と謎解きについては「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第7章「大国主の国譲りとは?タケミナカタノミコトとは?」をご参照ください。

 

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佐久一の宮にオキハギノミコトが祀られていたことから、タケミナカタの他の12人の子もそれぞれの支配地に神として祀られているのではないか?と考えて調べていた時、 pcat2sさまから「地図に池生神社があります」とのコメントを戴きました。もう6年も前のことですがpcat2sさま覚えていらっしゃいますか?

 

それならタケミナカタの4番目の子の池生命の支配地は池生神社の辺りで、池生命の宮は神社の場所にあったのではないかと考え、いつかその神社に行ってみたいと思っていたのですが、去年、井戸尻遺跡と考古館に行こうと地図を調べていたら、池生神社は井戸尻遺跡のすぐ近くにあるということが分かりました\(^o^)/。




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