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池生神社26 諏訪大社の祭神

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2016.3.7 池生神社26 諏訪大社の祭神

 

諏訪湖はタケミナカタが諏訪にやって来た23世紀と比べると信じられないほど小さくなってしまっていますし、以前に検証したように、琵琶湖や霞ヶ浦なども同様です。地球上では地形も海面の高さも大きく変化し続けていたのですから、何百年、何千年、何万年も前のことを現在の地図で考えたのでは事実からかけ離れた恣意的なつじつま合わせにしかならないのです。

 

アマゾンのレビューで「古代の地形から『記紀』の謎を解く」を全くのでたらめだと断じた方は、「表紙の地図1枚で酷さが解る」と書いておいででしたから、そのことが理解できなかったようです<(_ _)>。たかだか標高60mほどの奈良盆地が海だったことさえ理解できない(する気がない)のであれば、7000mのヒマラヤ山脈も元は海底だったということなどバカバカしくてオハナシにもならないとおっしゃるのでしょうね(^_-)

 

8000万年前は海底だったヒマラヤ山脈

イメージ 1

 1600万年前は東日本のほとんどが海だった日本列島 
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6000年前の京都盆地と奈良盆地(国土地理院の作成した推定地図より) 

イメージ 3

イメージ 4

酷いでたらめだと書かれた表紙の地図

イメージ 5
 

↑の地図は現代の地図の上で、奈良盆地や京都盆地の標高と同じ標高60m以下の部分を青くしてみたものです。この地図は私が2010年に作成したものですが、国土地理院が作成した地図とそれほど違わないようですよ(^_-)

 

今、大阪のハザードマップを確認してみたところ、やはり上町台地の周辺は標高が低くて0m地帯も多いようで、液状化も想定されているようですね。

 
 閑話休題。
 

2009年に諏訪大社に行ってみようと調べていた時、「諏訪大社の祭神はタケミナカタとヤサカトメ」と記されていたにもかかわらず、「諏訪大社には本殿がなく守屋山をご神体とする」となっていたので、なぜ「タケミナカタとヤサカトメ」ではなく山を祀っているのだろう?と不思議に思ったのですが、諏方氏が「タケミナカタとヤサカトメ」を祀っていなかったのは、彼らが諏方氏の祖先ではなく、全くの赤の他人だからだったのですね(^_-)

 

本宮には諏方氏が祀るべき祖廟は初めから無かったから本宮には拝殿だけがあって本殿が無く、前宮には祖廟と祭神は残っていたけれど、その祖廟を祀るべきタケミナカタの子孫はもういなくなっていたため、前宮には本殿だけがあって拝殿は無かったということのようです。

 

下社も表向きは諏訪大社として「タケミナカタとヤサカトメ」を祀っていることになっていますが、下社にも本殿はなく「秋宮はイチイの木を、春宮はスギの木をご神体としている」というのも同じ理由からでしょう。「タケミナカタとヤサカトメ」は下社の大祝の金刺氏の祖先ではなかったのですから。

 

祖廟と、そこに祀られた祭神と、それを祀る子孫との関係は論理的にちゃんとスジが通ったものであり、「山や木や石をカミサマとして祀っているのだ」などというもっともらしい説は、学者さんたちの全く見当はずれの恣意的なつじつま合わせの解釈にすぎないようです(^o^)

 
 

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