2016.3.1 池生神社23 前宮とミシャグチ様
昭和初期の前宮
↑の記事には前宮の本殿の位置について、「前宮の本質はミシャグジなので、何故この場所に“本殿”が造られたのか疑問だ」との声が研究者の間では一般的です。」と記されていましたが、ここまで書いてきたように、前宮はタケミナカタとヤサカトメを祀るタケミナカタの子孫達の祖廟だったのですから、タケミナカタの宮があった所にその祖廟(本殿)造られたのは当然で、「前宮の本質はミシャグジ」だという研究者の考えが間違っているのです(^_-)。
『人はなぜ騙されるのか』には「肩書信仰の怖さ」という項がありましたが、
「疑問だ」という声が一般的で納得している人がいないのに、それならその考えが間違っているのではないか?とは考えないのは、「研究者」や「大学教授」などの肩書を持つ人たちが間違ったことを言ったり書いたりするはずがないという「肩書信仰」の思い込みからなのでしょうね(^_-)。
某東大教授も「東国の歌垣でやっていることは人妻に吾も交はらむということで、東国の男女が皆そうしていたとするならば・・・」などと私には到底納得できない非論理的なことを書いていらっしゃいましたが(^_^.)、日曜日に新聞の新刊書の広告を見ていたら『学者は平気でウソをつく』という新書の案内が載っていました(^o^)。
先日はコラムで『蘇我氏の古代』『蘇我氏―古代豪族の滅亡』という2冊の本が紹介されていましたが、「蘇我氏」は『記紀』が創り出した名前で、実際にはそんな氏族はいなかったのですから、『記紀』や「文献」のウソを元に論を展開してもウソから生じた謎のつじつま合わせにしかならないと思うのですけれどね~(^_-)。
葛城氏と蘇我氏は全く違う氏族ですから、葛城氏が蘇我氏になったのではありませんし、『記紀』が「蘇我氏」として正体を隠したのは、石川流域を本貫の地としていた応神系の王族のことで、強いて言うならもともと「石川氏」なのですから、「蘇我氏」がマイナスのイメージを払しょくするために「石川氏」と名前を変えたのではありません。
左大臣になったとされている(これもウソですが)(蘇我倉山田)石川麻呂(いしかわのまろ)も、その石川麻呂の血を引く天皇であった文武天皇の妃となって二人の皇子を生んだ石川刀子娘(いしかわのとねのいらつめ)も応神系の王族であり「石川氏」だったのです(^o^)。
崇神系王族と応神系王族、そして二つの王族間の王位争いについては「古代の地形から『記紀』の謎を解く」をご参照ください。 アマゾンへ
ネコビタイ便り
2.11に落ちてしまったパッションフルーツが萎びてきたので、まだツルに付いている実を見てみたらこちらもシワシワになってきていました。
落ちたばかりの2.11の実
10日経った2.21の実
切ってみたら果肉は黄色でしたが、ムベの実にそっくりでした。
ムベ
果肉の色は違いますが、外見も中身も良く似ていますね(^o^)。ポポーの実もよく似ていましたが、ポポーとムベは甘く、パッションフルーツは酸味があります。
ポポー