2016.2.26 池生神社20 学術的蘇我氏論?
私には納得できない学者さんたちの「説」に遭遇するたびに「だから、僕は歴史家には呆れ返るのさ。彼らときたら、一つの事態の納得性ということに関して何にも考えてみようとしないらしい。」という『時の娘』のグラント警部の言葉に頷いてきたのですが、これは少し訂正が必要かもしれません(^o^)。
「文献」に記されていることは全て事実だと考え、「文献に記されている事態の納得性」のために、その部分部分のつじつまが合うように「説」を考えるのが歴史家のオシゴトのようで、記されていることは事実なのかどうかや、世界史や人類史など歴史全体との矛盾はないのかなどの検証は一切しないようですから、歴史家が考えてみようとしなかったのは「一つの事態の納得性」ではなく、歴史全体の因果関係や納得性のようです(^_-)。
検証が一切不要なのであれば、「高天原は天にあったと考えてよい」とでも、「神様が降臨して普通の人間になったと考えればよい」とでも、どのようにでも解釈できますし、どのようなつじつま合わせでも出来てしまうのです。本居宣長は実際にそのようにして『古事記伝』を著したようですが(^o^)。
本居宣長の時代には、まだ二重らせんは発見されていませんでしたし、情報も知識も今のように手軽に入手することはできなかったのですから、限られた知識の中でつじつまが合うように説を組み立てていったのは仕方のないことで、何も無いところから『古事記伝』を作り上げたのは偉大なことだったのかもしれません。
でも今は、歴史には全く関わりのなかった門外漢の私でさえも、ここに書いてきたような知識や情報を得ることができるようになっているのに、現代の学者さんたちの歴史解釈が相変わらず本居宣長の時代のままなのはどうしてなのでしょう?
先日の新聞に「昨年末、『蘇我氏の古代』『蘇我氏―古代豪族の滅亡』という2冊の本が出版されて古代史ファンの注目を集めている」という記事が載っていました。
その記事によれば、大勢力を誇った「葛城氏」が6世紀に記紀から消えて蘇我氏が突然現れたのは、葛城氏の中枢が蘇我氏を名乗ったと考えれば謎が解ける、平安時代の官人に蘇我氏系の石川氏の名が膨大に出てくるのは、蘇我氏が負のイメージを払うために石川氏に改姓したからだろうという論旨のようなのですが・・・・
これは典型的な「・・・と考えればこの部分のつじつまは合う」という「一つの事態の納得性」のためのつじつま合わせの解釈ではないでしょうか(^o^)。
確かに大豪族だった葛城氏が蘇我氏になったのだと考えれば、葛城氏が消えて蘇我氏が突然登場してきたことや、その蘇我氏は初めから大豪族だったことは説明できますが(^_-)、それでは葛城氏とはどういう氏族で、いったいどうやって大勢力を持つ豪族になっていたのでしょうね?
昔は「家名を守る」ことが命より大事だったようですが、大豪族だった人たちがそんなに簡単に何度も名前を変えたりしていたのでしょうか?
「文献」では、蘇我氏は謀反を起こそうとして孝徳天皇に殺されたことになっています。謀反は最も重い罪のはずですが、名前を変えれば謀反人の係累であっても膨大な数の人々が官人として朝廷に居座っていることができたのでしょうか?
石川刀子娘(いしかわのとねのいらつめ)は文武天皇の後宮に入って二人の皇子を生んでいますが、謀反人の係累にそんなことが許されていたのでしょうか?
疑問に思うことをあげればきりがないのですが、きっと学者さんたちはどんな疑問にも「・・・と考えればよい」とお答えになるのでしょうね。それとも「文献」にあることを疑うなどもってのほかだと怒り出すでしょうか。まあ、一番可能性が高いのは素人のたわごととして「完全無視」だろうと思いますけれど(^_-)。
ネコビタイ便り
先日雪が積もったので外を眺めていたら、雪の付いた枝に小さな黄色がチラチラと見え、サンシュユの蕾がほどけ始めていることに気が付きました。春の足音です(^o^)。
最近は温暖化とか温室効果ガスとかという言葉をまったく聞きませんね。温室効果ガスは消えてしまったのでしょうか、それとも「温室効果ガス論者」が消えてしまったのでしょうか(^_-)?