スプリング・エフェメラル カタクリ2
2016.3.13 スプリング・エフェメラル カタクリ2 芽が出て2週間経ったので、そろそろ蕾が見え始めたかな?と思い、様子を見に行ってみました。 二週間前はよくよく目を凝らさないと枯葉しか見えませんでしたが、今日は遠くからでもたくさんの葉が見えるほどに成長していました(^o^)。 二週間前の様子は...
View Article池生神社32 守矢氏は守屋氏?
2016.3.14 池生神社32 守矢氏は守屋氏? http://sanbic-ltd.co.jp/blog/?p=2657↑の記事によると、神長官家にある7世紀の古墳は、守矢家の伝承では物部守屋の次男である武麻呂の墳墓と伝えられているのだそうで、崇仏戦争で蘇我馬子に敗れて守屋山に逃れた物部守屋の次男の武麻呂の子孫が守矢一族だということなのですが、これは変ですよね(^o^)。...
View Article池生神社33 諏訪大社の祭神を決めたのは誰か?
2016.3.15 池生神社33 諏訪大社の祭神を決めたのは誰か? http://sanbic-ltd.co.jp/blog/?p=2657の記事には...
View Article池生神社34 物部守屋神社
2016.3.16 池生神社34 物部守屋神社 「守矢氏は物部守屋の次男の子孫である」という珍妙な「説」の元は、「守屋山」の名前とこの山の中腹にある「守屋神社」だろうと考えたのには理由があるのです(^_-)。...
View Article池生神社35 物部守屋神社2
2016.3.17 池生神社35 物部守屋神社2 「物部守屋神社」は物部守屋を祀る物部氏の祖廟でも、ミシャグチ様を祀る守矢氏の祖廟でもないようです。それでは誰が誰を祀った祖廟でなぜ守屋山に造られたのでしょうね? それを推理するヒントは↓の写真にありました。...
View Article池生神社36 池生神社と池之袋村
2016.4 池生神社36 池生神社と池之袋村 古い地名はそう呼ばれるようになった頃の地形を現しているということが現地踏査をしてみるとよく分かります。古い地名は「無形文化財」であり、失ってしまえば取り返しのつかない「時の化石」なのです。http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/40873146.html...
View Articleスプリング・エフェメラル カタクリ3
2016.3.20 スプリング・エフェメラル カタクリ3 先週蕾の出ていたカタクリはもう咲いたかな?と気になって出かけてみました。 今年の一番花は3.16に開花したそうです(^o^)。蕾も増えて、出たばかりのものから咲いたものまで各段階が揃っていました\(^o^)/。今日開花していたのは20輪くらいでしたが、先週までは人がいなかったけれど、今日は花よりもたくさんの人がいました(^o^)。 2.28...
View Article池生神社37 諏訪神社2
2016.3.21 池生神社37 諏訪神社2 和光市の諏訪神社から、以前に加須で見た諏訪神社のことを思い出しました。http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/39184145.html...
View Article池生神社38 諏訪神社とトミ神社
2016.3.22 池生神社38 諏訪神社とトミ神社 埼玉県に諏訪神社はいくつあるのだろう?と調べてみたら、なんと73社もあり、加須市だけでも加須市戸室1231・加須市戸崎2388・加須市正能200-1・加須市串作854・加須市諏訪1-8-4と5社あるようで、他に諏訪社が加須市上高柳52と加須市馬内50に2社あるようです。 諏訪社と諏訪神社はどう違うのか分かりませんが<(_...
View Article池生神社39 出雲国の熊野大社と紀伊国の熊野大社
2016.3.23 池生神社39 出雲国の熊野大社と紀伊国の熊野大社 埼玉県だけでも73社もあるという諏訪神社は全国ではいったいどれくらいあるのだろう?と調べてみたら、約25000社もあるのだそうです。でもそれよりも多いのは八幡神社なんですよね。全国に44000社もあるそうです。...
View Article池生神社40 フォッサマグナと新潟の諏訪神社
2016.3.24 池生神社40 フォッサマグナと新潟の諏訪神社 埼玉を始め関東各地に「諏訪」や諏訪神社がたくさんあるのは、古代には海だった関東平野も2~3世紀以降は徐々に潟や湿地や葦原や淡水化した沼になってきていて、タケミナカタの子孫達が進出し、開拓に腕を揮う場がたくさんあったからでしょう(^o^)。...
View Article池生神社41 フォッサマグナと新潟の諏訪神社2
2016.3.25 池生神社41 フォッサマグナと新潟の諏訪神社2 諏訪湖からは糸魚川―静岡構造線の断層によってできた谷が糸魚川まで続いていますから、この谷沿いに往来していたのでしょう。この谷沿いには千国・黒川・中土など諏訪神社がたくさんあるようです。そもそも出雲からやって来たタケミナカタはこの谷を通って諏訪に行ったようですしね(^o^)。...
View Article池生神社43 古い街道と構造線
2016.3.28 池生神社43 古い街道と構造線 糸魚川街道(千国街道・塩街道)を踏襲した国道148号線は糸魚川―静岡構造線の、杖突街道および秋葉街道を踏襲した国道152号線(塩の道)は中央構造線の断層に沿って刻まれた谷を通る道で、諏訪湖周辺に人々が暮らし始めた旧石器時代から使われてきた道のようです。...
View Article池生神社44 田端神社と藤森神社の御柱
2016.3.29 池生神社44 田端神社と藤森神社の御柱 またもヒマラヤまで飛んで行ってしまいましたが、長野県諏訪郡富士見町の池生神社に戻ります(^_-)。...
View Article池生神社45 田端神社と藤森神社の御柱2
2016.3.30 池生神社45 田端神社と藤森神社の御柱2 藤森照信氏のコラムには、「村の家々の社も、かつては6年に一度立て替えていたが、大変なのでものごころついた頃には石造に変わっていた」とありましたが、そういえば史料館の隣にあった藤森神社の社は石造でした(^_^.)。 藤森神社 それを残念に思った藤森照信氏は、一族の古老の大工さんに昔のスタイルを再現してもらったのだそうです。すると・・・...
View Article池生神社46 藤森一族
2016.3.31 池生神社46 藤森一族 神長官家の祖廟「ミシャグチ様」は神長官家の敷地の中にありましたから、神長官家の敷地に接して建っていた「藤森神社」は藤森一族の祖廟のようです。...
View Article池生神社45 古代の海とナカマチクジラ
2016.4.1 池生神社47 古代の海とナカマチクジラ 大井神社の藁や竹や木の枝で造られた社を見たのは2011年、那珂市歴史民俗資料館の藁奉殿を見たのは2012年、熊野大社の鑚火殿を見たのは2014年、前宮の精進屋の写真を見たのは2016年のつい先日のことだったのですが、一つ一つでは意味が分からなかったものも、並べてみたら相関が見えてきました(^o^)。...
View Article池生神社48 アフリカ・マリの新石器時代遺跡
2016.4.2 池生神社48 アフリカ・マリの新石器時代遺跡 藤森氏はこのコラムに、ご自分の建築の好みは縄文的表現と御柱祭で育まれた空に向かって伸びる感覚だと記され、その原点となった考古学との出会いは扇状地で採集した黒曜石の矢尻で、高校の時には「在野の考古学者として知られる藤森栄一の指導する縄文遺跡の発掘に参加した」と記されていました。...
View Article