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池生神社48 アフリカ・マリの新石器時代遺跡

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2016.4.2 池生神社48 アフリカ・マリの新石器時代遺跡

 

藤森氏はこのコラムに、ご自分の建築の好みは縄文的表現と御柱祭で育まれた空に向かって伸びる感覚だと記され、その原点となった考古学との出会いは扇状地で採集した黒曜石の矢尻で、高校の時には「在野の考古学者として知られる藤森栄一の指導する縄文遺跡の発掘に参加した」と記されていました。

 

子供の頃に矢尻や土器の破片を拾って一生考古学に取りつかれてしまう人は多いようです(^o^)。たぶん「嘘八百の文献」とは違って、ウソのない矢尻や土器の破片にはホンモノの古代ロマンを感じるからでしょう(^o^)

 
「在野の考古学者として知られる藤森栄一」氏も諏訪市出身だそうですから、この方も藤森一族なのでしょうね(^o^)
 
イメージ 1

 
ちょうどこのコラムが連載された頃、私は裏磐梯と大鹿村の塩湯から世界の塩と古代の海との関係について考えていたところだったので、実は↑の記事で私が最初に興味をひかれたのは、「サハラ砂漠で入手した」という矢尻の写真と、それに関しての「アフリカのマリでサハラ砂漠に出かけた時に遊牧民から入手した矢尻は、石質も形も作りも諏訪で拾ったものと全く同じであり、聞くと、サハラ砂漠にはたくさん新石器時代(縄文時代)の遺跡があって矢尻が大量に拾えるとのこと。新石器時代までの人類の作るものに、国や地域の別などなく、世界中、同じことをしていたのだ」という部分だったのです(^_-)
 

サハラ砂漠の矢尻

イメージ 2

 

現人類(ホモ・サピエンス)はアフリカで発生して世界中に広がっていったのですから、アフリカに人類の古い遺跡がたくさんあるのは当然ですし、その人類が世界中に広がり始めた頃には国も国境もまだなかったのですから、「国や地域の別などなく世界中同じことをしていた」のは当然なのです(^o^)

 

人類の発生と拡散模式図

イメージ 3

 
イメージ 5

でも、生命は海から生まれたと言われ、生存には塩が不可欠なのに、なぜ海からははるかに遠い内陸の、それも生存に適しているとは言い難い気候風土の厳しい砂漠にたくさんの遺跡があるのか? 彼らは生存に不可欠な食料や塩を不毛の砂漠地帯でどうやって手に入れていたのか?・・・


「それは謎である」で片付けてしまいましょうか(^_-)

 

いえいえ、「謎」を作っているのは学者さんたちであって、論理的な因果関係で成り立っている人類の歴史に「謎」などないのです。その場所で人類が次々に子孫を増やし、生活の痕跡をたくさん残したのであれば、当時そこは不毛の砂漠ではなく、食料も塩も豊富にあってどこよりも生存に適した場所だったはずなのです。

 

人類は砂漠の厳しい環境の中で生き延びていたのではなく、最も生命の維持に適したところで暮らしながら増えていったのであって、環境の方が当時と変ったのです。現に今現在も地球は温暖化し、砂漠化が進んだり、海面が上昇したりしているではありませんか。全ては変化し続けているのに、歴史を現在の状況だけで解釈しようとするから「謎」が生じてしまうのです。


サハラ砂漠は太古には海だったのです。国土の3分の1をサハラ砂漠が占めるマリには塩湖の跡があり、岩塩がたくさん採れるのがその何よりの証拠でしょう\(^o^)/。
 

マリ タウデニ村の岩塩

イメージ 4

 
 

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