2016.4.1 池生神社47 古代の海とナカマチクジラ
大井神社の藁や竹や木の枝で造られた社を見たのは2011年、那珂市歴史民俗資料館の藁奉殿を見たのは2012年、熊野大社の鑚火殿を見たのは2014年、前宮の精進屋の写真を見たのは2016年のつい先日のことだったのですが、一つ一つでは意味が分からなかったものも、並べてみたら相関が見えてきました(^o^)。
一つ一つを見れば「謎」や「不思議」である内陸の標高の高い所にある遺跡や神社や貝塚や海に関わるような地名なども、並べてみたら共通性が見えてきて、そこからそれらを繋ぐ因果関係が分かってきたのですから、やはり「発見はモノやコトの、とても偶然とは思えない相関にピンと気付いて始まる。」ということのようですね(^o^)。
でも、論理的にはそうなるはずだと思っても、それはまだ推理であり「仮説」なのですから、事実と矛盾している点はないか、物証はあるのかといった検証が必要だと私は思うのですが、歴史学者さんたちは「文献」を根拠につじつまを合わせる非論理的な仮説を立てるだけで、検証ということは一切なさらないようです<(_ _)>。
那珂市歴史民俗資料館に行った2012年には、私はまだプレートテクトニクスも分子生物学も生物物理学も知らず、実際の遺跡や地形や地名などから古代の海や人類の移動を推理していたのですが、この資料館に「ナカマチクジラの化石」が展示されているのを見て、1000万年前の関東平野はクジラが泳いでいた海だったことを確認することができ、それまでの古代の海と地形の変化の推理は間違っていなかったと確信が持てたのです\(^o^)/。
ナカマチクジラ
そして日本人が日本列島から湧いて出たり、天から降ってきたりした人種ではないことは分子生物学や生物物理学から、関東平野が巨大ザメやクジラが泳ぐ海であった理由はプレートテクトニクスから確認することができました。
恣意的なつじつま合わせの非論理的な仮説でないのであれば、その内容が科学的な事実や所見と矛盾することはないのです\(^o^)/。
「古代の地形から『記紀』の謎を解く」を「呆れ返る以前の酷いでたらめ」と決めつけた方は、どこがどうでたらめなのか論理的な根拠を何も示してはいませんから、単に思い込みと固定観念にとらわれて誹謗中傷をお書きになったようですが、最新の理論や、内陸のあちこちから出てくるクジラやサメの化石は、ここに書いてきた推理がでたらめではないことを証明してくれているようですよ(^_-)。
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↓の糸魚川市の千丈ケ岳の高さ600mの大岸壁も350万年~300万年前の海底火山の活動でできたもので、ここが1600万年前~350万年前には深い海だったことはすでに事実として分かっているのです(^o^)。