2016.3.24 池生神社40 フォッサマグナと新潟の諏訪神社
埼玉を始め関東各地に「諏訪」や諏訪神社がたくさんあるのは、古代には海だった関東平野も2~3世紀以降は徐々に潟や湿地や葦原や淡水化した沼になってきていて、タケミナカタの子孫達が進出し、開拓に腕を揮う場がたくさんあったからでしょう(^o^)。
ところが調べてみると、関東よりも長野よりも諏訪神社が多いのは新潟で、なんと1658社もあるのだそうです。その理由を考えてみました(^o^)。
フォッサマグナ(大地溝帯)とされているものは、地面が落ち込んでできた地溝帯ではなく、太平洋プレートとフィリピン海プレートの移動によって東北日本が反時計回りに、西南日本が時計回りに動いて日本列島が裂けてできた深い溝だったようです。
歴史や地理が受験の暗記科目だった頃は、あまり深く考えてみることもなく「フォッサマグナ=大地溝帯=糸魚川」と反射的に覚え、この地溝帯とは↓のように説明されていましたから、糸魚川の辺りが落ち込んだらしいと漠然と考えていました。
ところが今度は、東北日本が反時計回りに西南日本が時計回りに動いたのであれば、糸魚川は扇の要の位置であって大きく裂けたのは糸魚川の反対側なのではないか、フォッサマグナ(大地溝帯)は糸魚川ではなく関東地方なのではないか?と疑問が湧いてきました(^o^)。
そこで、航空写真で確かめてみると、列島中央部から太平洋にかけて扇を広げたように大きく関東平野が広がっていて、銚子の辺りを頂点に日本列島は「逆くの字」に折れ曲がっています。やはり大きく裂けて深い海になってしまったのは糸魚川の方ではなく関東平野側だったようです。関東からは巨大サメやクジラやイルカやパレオパラドキシアやアンモナイトなどの化石もたくさん出てきますしね(^o^)。
列島の中央部はその後、活発な火山活動による隆起や噴出物の堆積で1000万年前頃から陸地化し始め、やがて長野や群馬は温泉が豊富に湧く山岳(火山)地帯となって海の無い県になってしまいましたが、旧石器時代に諏訪湖周辺や岩宿に人が住み始めた頃には、やはり岩宿は海辺であり、諏訪湖は塩湖だったのでしょう(^o^)。人間は塩がなければ生きられないのですから。
関東平野は山も温泉もない広大な平野ですから、この平野は火山活動で隆起してできたのではなく、列島が裂けてできた海に火山の噴出物や川からの堆積物が積もってできた沖積地で、2~3世紀頃にはまだ大部分が海だったようです。6世紀になっても行田市のさきたま古墳群の辺りはまだ「さきたまの津」だったのですから(^o^)。
埼玉の津にをる船の風をいたみ 綱は絶ゆとも言(こと)な絶えそね
万葉集巻14-3380
大きく裂けて深い海になった扇の先の関東地方に対して、扇の要の位置にあった新潟は、裂け方が小さく浅くて早い時期に陸地化していたので、タケミナカタの子孫達は早くから新潟方面に進出していたのではないでしょうか?関東よりも新潟に諏訪神社が多いのはそれが理由なのではないかと思うのですが(^_-)。