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池生神社41 フォッサマグナと新潟の諏訪神社2

2016.3.25 池生神社41 フォッサマグナと新潟の諏訪神社2
 
諏訪湖からは糸魚川―静岡構造線の断層によってできた谷が糸魚川まで続いていますから、この谷沿いに往来していたのでしょう。この谷沿いには千国・黒川・中土など諏訪神社がたくさんあるようです。そもそも出雲からやって来たタケミナカタはこの谷を通って諏訪に行ったようですしね(^o^)
 
2.11pcat2sさまから「飯田市に外県大宮諏訪神社があります」とのコメントを戴きましたが、この谷沿いの安曇郡小谷村中土にも大宮諏訪神社があり、上田市にも大宮諏訪神社があるようです。祭神はやはり「タケミナカタとヤサカトメ」ですが、諏訪神社と大宮諏訪神社はどう違うのでしょうね?人間は何かと序列をつけたがるようですから、諏訪大社>大宮諏訪神社>諏訪神社>諏訪社でしょうか(^_-)。行ってみれば何か共通点や違いが分かるかもしれませんけれど。
 
大鹿村には明治まで「本諏訪社」と呼ばれていた神社があってタケミナカタの伝承があるため、タケミナカタは太平洋側から諏訪にやって来たのか日本海側からやって来たのかという議論があるということを知って行ってみたのですが残念ながらそこまで辿りつくことはできませんでした<(_ _)>

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けれどタケミナカタは、中央構造線の谷を通って大鹿村の方から来たのではなく、日本海側から糸魚川―静岡構造線の谷を通って来たようですよ。

出雲からなら当然舟で日本海を海岸伝いにやって来たのだろうということや、能登や新潟に大国主の足跡が多いことや、沼河比売(ヌナカワヒメ)のエピソードや、千国街道沿いに諏訪神社がたくさんあることなども傍証にはなりますが、もっとはっきりした証拠があるのです(^o^)
 
諏訪にはタケミナカタが出雲からやって来た時、洩矢神と洩矢の人々は天竜川を挟んで戦ったと伝えられていて、その陣跡が天竜川を挟んで対岸にある藤島神社と洩矢大明神の祠だと伝わっているのですが、洩矢神は天竜川の南側(諏訪湖の南岸)に住んでいたのですし、洩矢大明神の祠があるのは天竜川の南岸であり、タケミナカタの陣跡は天竜川の北岸にあるのですから、タケミナカタは北側、つまり糸魚川の方からやってきたということでしょう(^_-)。大鹿村の方から来たのでは守屋山を越えて直接洩矢神の居住地に出てしまいますものね(^o^)

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現在地と書いてある所が杖突峠で、その麓が洩矢神の居住地、下端が高遠町ですが、大鹿村は高遠町よりもっと南にあります。
 
塩街道(千国街道・糸魚川街道)という古くからの道が通っているこの谷には大糸線も通っていますから、傾斜のきつい険しい道ではないようですし、諏訪湖周辺で産出した黒曜石と糸魚川で産出したヒスイが日本各地の広い範囲の遺跡から出土していますから、諏訪―糸魚川間には古くから頻繁に行き来があったのです(^o^)
 
頻繁に往来していて土地勘もあり、海の退いた跡が徐々に広大な潟や湿地になって来ていた新潟の平野部では、進出していったタケミナカタの子孫達が「開拓の神」としておおいに腕を揮って子孫を増やし、拓いた所に次々に祖廟を造ったので他のどこよりも諏訪神社が多いのではないでしょうか(^o^)
 
岡谷から糸魚川までどのくらいかかるのかルート検索してみたところ、この谷を通って128km、徒歩で28時間だそうです。今のように道が整備されていたわけではありませんからもっと時間はかかったかもしれませんが、江戸時代の人でも1日に5070kmくらい歩いていたようですから、片道23日くらいの行程だったでしょうか(^o^)
 
  

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