2016.3.3 『美貌の女帝』2
昨日アマゾンを見てみたら「古代の地形から『記紀』の謎を解く」に書いたことについて「全くのでたらめだ」との感想が書かれていました。
『時の娘』の作者の言葉のように「おかしなことにあなたが誰かに神話の真相を教えてやるとすると、その人は神話を伝えた人のことは怒らないであなたのことを怒る。誰しも自分の考えていることをひっくり返されるのは嫌なのだ。」ということなのでしょうね(^_^.)。
歴史の捏造 http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/40694848.html
そして次には「実際に本を書いたら身も細る思いをするだろう。つまり、学校を卒業してから歴史の本など一度もひもといたことの無い連中が、きみの書いたものに対しては大威張りで批評する資格があるように思うだろう。百科事典を調べてみて、この問題なら自分たちだってもっとやれると考える人間も出てくれば、君は酷評どころか黙殺されてしまう。そしてまた、糞真面目な歴史家たちはきみのことなんか耳にも入れやしまい」ということになるのでしょう<(_ _)>。
捏造された史書によって1300年も隠蔽されてきた「真実」を探り出す謎解きは複雑で、読んですぐに理解できるようなものではありませんし、その1300年の間に『古事記』の作った「神話」は信仰にまでなってしまっていますから、私は↑のような反応がほとんどだろうと思い、出版には躊躇があったのです。
ところが意外なことに、これまではそういう反応よりも「なるほど」とおっしゃる方の方が多かったので、やっぱり既存の歴史解釈には納得できず、歴史解釈に論理性や納得性を求めていた方も少なくなかったのではないかと感じていたのですが(^o^)、この先、理性派が増えていくのか感情派が増えていくのかは分かりません。感情派が増えて「神国・日本」が復活しそうな気配もありますしね<(_ _)>。
ところで『美貌の女帝』ですが、1300年も前の人で写真があるわけでも見た人がいるわけでもないのに、どうして美貌だったことが分かったのだろう?と疑問に思ったのですが、この小説は「ひめみこの瞳はすみれ色で幼いころから美貌だった」と始まっていたので、その理由は分かりませんでした(^_^.)。妹の吉備内親王は快活な美女で、藤原宮子は妖艶な美女となっていましたから、朝廷には美女があふれていたようです。
でも、宮子の父の藤原不比等は猪首で猫背の小男で、極端に薄い眉に小さなたれ目だったと記されていました。娘は父親に似ると聞きますが、こういう容貌の父親から妖艶な美女が生まれることもあるのかな~(^o^)?
解説を見たら『日本書紀』に「氷高皇女は沈静婉れんにして・・・」と書いてあるので美貌の持ち主であったに違いない」ということなのですが・・・・(この「れん」は、女偏に戀という字です)
それじゃ私「古代史探偵・推古」も「絶世の美女だった」と書いて後世に残せば、私は絶世の美女だったということになるのかな~?とつぶやいてみたら、「そんな例を出すな」と大顰蹙を買ってしまいましたが(^o^)、どんなことでも書くことはできるのですし、書いてあることが真実とは限らないということは私が絶世の美女ではないことからも分かりますよね(^_-)。
検証もせずに「文献」の記述を信じるのは、確かめもせずに「古代史探偵・推古」は絶世の美女だったと信じるのと同じことではありませんか(^_-)?
ネコビタイ便り
植え替えもせず、肥料もやらず、ベランダに出しっぱなしにしていたのに、今年は蘭がたくさんの花をつけました\(^o^)/。園芸書に従って面倒を見ていた時には何年もの間全く咲かなかったのですけれどね(^_-)。
デンドロビュームはもう花が終わってしまいましたが
シンビジューム マリリン・モンロー
こちらはまだ豪華に咲いています。
この二鉢は花芽が見えたので霜が降りる前に家の中に取り込んだのですが、他は花芽がなかったので「まあいいか」と出しっぱなしにしてしまいました。枯れてしまうかと思ったのですが、なんとそのうちの二鉢のシンビジュームに花芽が付いて伸び出していることに今朝、気が付きました。ほったらかしにされて、酷暑にも寒さにも順応してしまったようです(^o^)。