三鷹天文台
2016.5.18 三鷹天文台 日曜日に神代植物園へ出かけてみたら駐車場がいっぱいだったので、久しぶりに三鷹天文台へ行ってみたのですが、去年の桜の時期以来だったのでもう1年以上経っていたのですね~。この間にハケの木が大きくなったのか、以前よりハケの上からの見晴らしが悪くなっていました。去年の桜http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/42074397.html...
View Article塩尻の縄文遺跡
2016.5.19 塩尻の縄文遺跡 古代史考察が、糸魚川からまた宇宙にまで飛んで行ってしまいましたが(^o^)、連休に糸魚川まで行くのに、なぜ塩尻で高速を下りて一般道を走っていたのかというと、糸魚川―静岡構造線というのはどういうものなのかを知りたかったのと、推理どおりに糸魚川から諏訪まで海が続いていたということを確かめたかったからなのです。...
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2016.5.20 塩尻の縄文遺跡2 地域の博物館や地域資料には、机上で『記紀』のつじつま合わせをした歴史解釈本には絶対に記されていない謎解きのヒントが満載なのです\(^o^)/。...
View Article塩尻の縄文遺跡3
2016.5.21 塩尻の縄文遺跡3 塩尻の地形 上が南で南から北へ田川・奈良井川・鎖川の3本の川が流れているようです。塩尻はこれらの川が海(松本盆地)に流れ込む所にできた扇状地だったのでしょう。...
View Article塩尻の縄文遺跡4
2016.5.23 塩尻の縄文遺跡4 塩尻の平出遺跡では、平出の泉から流れ出る渋川に沿って集落跡が東西1kmに渡って分布していたそうですが、この川の水は、古代には塩分を含んでいたのかもしれませんね。川が当時から真水だったなら「渋川」という名前は付かなかったのではないでしょうか(^o^)。 平出の泉...
View Article塩尻の縄文遺跡5
2016.5.24 塩尻の縄文遺跡5 平出遺跡からは、豪華な模様で飾られた土器や石器が多量に出土していることから見て、豊かで安定した生活が営まれていたと考えられるそうですが、こちらも八ヶ岳南麓から甲府にかけて住んでいた縄文人と同じように、塩湖や内陸に入り込んだ遠浅の穏やかな海に面していて塩も食料も豊富にあったため、豊かで安定した生活を送れていたのでしょう。...
View Article洗馬(せば)宿
2016.5.25 洗馬(せば)宿 塩尻では、宿場町の街並みが保存されているようだということが分かったのですが、時間がなかったので資料だけでもと思い、洗馬宿にある歴史の里資料館・釜井庵に行ってみることにしました。実は釜井庵ってなんだろう?お蕎麦屋さんかな?おソバの資料館かな?と全く的外れなことを考えていたのですが(^o^)。 釜井庵 庭には絶滅危惧種のクマガイソウがたくさん咲いていました。...
View Article中谷大宮諏訪神社
2016.5.27 中谷大宮諏訪神社 今回は、糸魚川―静岡構造線を見るために出かけて行ったのですが、147号線は元は海だった松本盆地の中を走る平坦な道で構造線ではなかった上に、148号に入ると今度は長いトンネルが続いて周辺の地形はほとんど見えず(T_T)、途中で行ってみようと思っていた所もいつの間にか全部通り過ぎてしまっていました<(_ _)>。...
View Article小谷村郷土館 恐竜の足跡
2016.5.29 小谷村郷土館 恐竜の足跡 中谷大宮諏訪神社へ行った後、再び148号まで引き返し、次に小谷村郷土館へ行ってみたのですが、ここには日本最古という恐竜の足跡化石が展示してありました(^o^)。 恐竜の足跡実物ガラスケース越しなので写真ではよく分かりませんね。実際に見てもよく分かりませんでしたが。 レプリカ こちらはガラスがないので写っています(^o^)...
View Article千国番所と千国越えの塩の道
2016.5.30 千国番所と千国越えの塩の道 事前にルートを調べていた時、千国の148号線から少し入った所にも諏訪神社があることが分かったのですが、そのずっと先に「牛方宿」があるのを見て、なぜ千国街道(148号線)からずっと離れたところに宿場があるのだろう?と疑問に思い、千国諏訪神社と「千国の庄史料館」に行ってみました(^o^)。 千国諏訪神社...
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2016.6.1 「塩の道」っていつ頃の道? 塩尻で購入した資料には「仁科街道は塩や海産物を運ぶ中世頃の重要な道だった」と記されていたので、それでは「古代の塩の道」はどこにあったのだろう?と思いながら、「せめて明治の道ではなく中世の道を辿りたかった」と思ったのですが・・・・http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/42813472.html 仁科街道...
View Article千国街道と千国古道
2016.6.2 千国街道と千国古道 地図を辿ってみると、根知谷の山口の関所から分かれて南西に向かい、大網峠を越えて姫川を渡り、姫川の西側を千国へ向かう道(オレンジ色の道)が牛方や歩荷が塩を運んだ中世の「塩の道」で、関所から山地をそのまま南に向かう道(緑色の道)が千国古道のようです。(この地図は右が北、左が南になっています)...
View Article千国古道の諏訪神社
2016.6.4 千国古道の諏訪神社 次に千国古道の方を調べてみると、大峰峠越えの古道が塩の道に合流する手前に宮本諏訪神社、大峰峠越えが高町越えに差し掛かるまでの中間に土谷諏訪神社、高町越えの中間あたりに中谷大宮諏訪神社があるのですが、その先の険しい地蔵峠越えと鳥越峠越えには諏訪神社が見当たりません。 大峰峠越えの宮本諏訪神社 大峰峠越えの土谷諏訪神社...
View Article穂高神社と安曇野2
2016.6.6 穂高神社と安曇野2 穂高神社へ行ってみると駐車場がいっぱいになっていました。知らずに行ってしまったのですが、7年毎の式年遷宮のお祭りの日だったのです(^o^)。...
View Article穂高神社と安曇野3 日光泉小太郎
2016.6.7 穂高神社と安曇野3 日光泉小太郎 本を購入して駐車場に戻りかけた時、社務所の前に奇妙な像があることに気が付きました。後ろからその像を見て、亀の背に乗って竜宮城に向かう浦島太郎かな?安曇族は海人族だから竜宮伝説でもあるのかな?と思ったのですが・・・・・...
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