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塩尻の縄文遺跡3

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2016.5.21 塩尻の縄文遺跡3

 

塩尻の地形

 
イメージ 1

上が南で南から北へ田川・奈良井川・鎖川の3本の川が流れているようです。塩尻はこれらの川が海(松本盆地)に流れ込む所にできた扇状地だったのでしょう。

 

塩尻は松本盆地の一部だということが分かったので、松本盆地を調べてみると、こちらには「松本盆地の標高は500mから800m。かつては海の底だった」としっかり記されていました(^o^)。それなら松本盆地の一部だった塩尻も、当然海だったはずですよね。塩尻は、平出遺跡の辺りが標高730mで南に行くほど高くなって2000mくらいになるようですから、古長野湾の最奥の「海尻」だったのではないでしょうか。

 

実は木崎湖の湖畔に「海ノ口駅」があったので、木崎湖・中綱湖・青木湖の仁科三湖は古代の海の名残に違いないと思い、「海尻」の地名を探してみたのですが見つからなかったので、塩尻が海尻なのではないかと考えたのですが(^o^)

 

海ノ口駅

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

松本市の旧四賀村の保福寺川河床からは、化石鰭脚類のアロデスムスやマッコウクジラの全身骨格化石、ウチムラユイガイダマシ、シロウリガイなどが出土しているそうです。マッコウクジラが陸地や浅瀬にいたはずはありませんから、現在の標高が500mから800mであっても、松本盆地はその当時は海、それも大きなクジラが泳ぐ深く広い海だったのです。

 

クジラの化石はあちこちの、現在は内陸となっている所から出てきているのです。


群馬・栃木・東京のクジラ

月形町のクジラ

ナカマチクジラ

 

これらのクジラの化石が出てきた地域の子供たちは、学校で自分たちの住んでいる所を「昔はクジラの住む海だったんだよ」と教えられているのでしょうか?それとも栃木や群馬や長野の子供たちは自分たちが住んでいるのは「海の無い県だ」と教えられているのでしょうか?


博物館や天文台や地質標本館にいた子供たちのことを思い出して、ふとそんなことが気になってしまいました。自分たちが住んでいる陸地からクジラの化石が出てくる理由をどう教えられるかは、ひょっとするとものごとを固定観念でしか考えられないオトナになるか、論理的に考えようとするオトナになるかの分水嶺になるかもしれません(^_-)

 

キツネ石

折にふれてヒスイなのか、ヒスイではないのかとモメていた親不知の緑色の小石は、ヒスイではなく石英で、「キツネ石」だということが判明したので、小滝川の石と一緒にしまったのですが、昨日しばらく使っていなかったバッグを開けたら、その石がバッグの中から出てきました。

 

いつ、だれがバッグの中に入れたのだろう?と、しまったはずの箱を確かめると、キツネ石はちゃんとそこに入っていました。それではこの石は何?なぜここにあるの?全く心当たりがなかったので、キツネ石が分身の術を使ったのかもしれない、明日の朝になれば消えてしまっているかも・・・と非論理的なことを考えてみたのですが(^_-)、やはりそんなお伽噺のようなことは起こらず、朝になっても石はちゃんと二つそこにありました(^o^)。多分私がどこかで拾ってバッグに入れて忘れてしまったのでしょう。化かしたと言われるキツネにはとんだ濡れ衣ですよね。

 

キツネ石とその分身? 

イメージ 5

でも、私は新潟に行ったのはこれが初めてで、緑の石を拾ってはいませんから、この石は糸魚川のキツネ石ではありません。キツネ石はヒスイと違って糸魚川特産ではなく、どこにでもあるありふれた石のようです(^o^)




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