2016.5.29 小谷村郷土館 恐竜の足跡
中谷大宮諏訪神社へ行った後、再び148号まで引き返し、次に小谷村郷土館へ行ってみたのですが、ここには日本最古という恐竜の足跡化石が展示してありました(^o^)。
恐竜の足跡実物
ガラスケース越しなので写真ではよく分かりませんね。実際に見てもよく分かりませんでしたが。
レプリカ こちらはガラスがないので写っています(^o^)
今から1億9000万年前のジュラ紀前期のものだそうですが、「シダ植物や二枚貝の化石も多く含まれていることから、浅い海に堆積した地層であることが分かっている」と書いてありますから、それでは1600万年前には付加体が裂けて6000mの深い海(フォッサマグナ)になってしまったこの辺りは、まだ付加体としてユーラシア大陸の端にくっついていた1億9000万年前のジュラ紀前期には浅い海だったようです。たぶんこの恐竜はその頃に大陸から歩いて「現在は日本という島になっている所」にやってきたのでしょうね(^o^)。
フォッサマグナが出来てから1600万年経った今は、日本は日本海で大陸とは隔絶され、1600年前には深さ6000mの海だった所はもうすっかり陸地化して山地になってしまっているのですから、この辺りは1億9000万年の間にユーラシア大陸の付加体の一部→浅い海→大陸から剥がれて海に隔てられた島→6000mの深い海(フォッサマグナ)→陸地という変遷を経て現在私たちが眼にしている地形になっているのです。
もし地形の変化ということを全く考えないのであれば、「ここには恐竜の足跡があるが、なぜここにあるかその理由は謎である。今後の研究を待ちたい」あるいは「この恐竜は日本海を泳いできたと考えればよい」「この恐竜は空を飛べたと考えてよい」「これは神の御業であり、奇跡なのである」などというような説明になるのでしょうか(^_-)。
「垂直の岩盤に確認された6個の足跡」とも記されていますから、この岩盤も山中地溝帯の漣岩と同じように、海底から隆起して垂直になったということなのでしょうね。
私にはこれが本当に恐竜の足跡なのかどうかは分からないのですが、群馬県の山中地溝帯の漣岩と、この長野県小谷村土沢の大地溝帯の来馬層の露頭とは地形や成り立ちがよく似ているようです。どちらも学者さんたちは「地面が落ち込んでできた地溝帯」だとしていますが、私は1600万年前に付加体が裂けて海になっていた所だと思います(^_-)。
土沢の来馬層の露頭
山中地溝帯の漣岩
漣岩が垂直になったという説明を見た時には「え~っ??」と思ったのですが、明星山の450mの石灰岩の岸壁だって深い海の底から隆起して垂直になったものなのですよね(^o^)。
漣岩と小谷村の恐竜ではどちらが最古なのだろう?と思ったのですが、
漣岩は約1億年前の地層だそうですから、小谷村の恐竜の方が9000万年古いようですね(^o^)。