2016.5.30 千国番所と千国越えの塩の道
事前にルートを調べていた時、千国の148号線から少し入った所にも諏訪神社があることが分かったのですが、そのずっと先に「牛方宿」があるのを見て、なぜ千国街道(148号線)からずっと離れたところに宿場があるのだろう?と疑問に思い、千国諏訪神社と「千国の庄史料館」に行ってみました(^o^)。
千国諏訪神社
この神社は小学校の敷地の中にあるように見えたのですが、境内に小学校を作ったということなのでしょうか(^o^)。神社は古いけれど、学校の建物はとても新しいようでした。
千国の庄史料館はさらにその先にあったのですが、行ってみるとそこには千国番所と塩倉がありました。
塩倉
なぜ番所が街道から離れた所にあるのだろう?と思ったのですが、そこで資料館の方から「昨日(3日)はここで塩の道まつりがあったので、この前をたくさんの人が歩いていたのだけれど、今日はまつりが白馬村の方だから人もいないし風も強いので閉めていたところだ」と伺ってビックリし、「塩の道」って148号のことではないのですか?とお聞きすると、「148号は明治にできた道で、この前を通って牛方宿の方へ登って行く道が塩を運んだ千国街道です」とのことで、私はこの時初めて今まで「千国街道・塩の道」だと思って走ってきた148号は「塩の道」ではなかったらしいということを知ったのですが<(_ _)>、それでもその時はまだ「塩の道」は所々で148号から離れた所を通っていたのだろうと思っていました。
塩の道まつり
↓の「塩の道を歩く」の資料はここで戴いたのですが、昨日になってそれをよく見てみたところ148号線は昔の「塩の道」とは全く違う道で、「塩の道」は、寄り道した中谷大宮諏訪神社やフォッサマグナパークや千国番所の方を通っている道だったこと、「148号が塩の道だ」というのは完全に誤った私の思い込みだったことが分かって愕然としてしまいました(T_T)。
塩の道を歩く
もし実際に行ってみなかったら、「148号線が塩の道だというのは誤った思い込みである」ということに私は一生気が付かなかったかもしれません<(_ _)>。実際に行ってみて分かることや、地域の資料や地元の方の何気ない言葉から分かることって本当に多いのです(^o^)。
「おたり塩の道の会 監修」となっているこの資料からは、他にもいろいろなことが分かってきたのですが、こんな細かいことは他のどこにも書かれていませんでしたから、この会のみなさんは丹念な素晴らしい調査をされたようです\(^o^)/。
出かける前に、諏訪神社がたくさんあるようだけれど、それらがみな千国街道(148号線)沿いではなく、街道から離れた所にばかりあるのはなぜなのだろう?と疑問に思ったのですが、その疑問もこの資料の地図のおかげで解決することができました\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/。