2016.6.4 千国古道の諏訪神社
次に千国古道の方を調べてみると、大峰峠越えの古道が塩の道に合流する手前に宮本諏訪神社、大峰峠越えが高町越えに差し掛かるまでの中間に土谷諏訪神社、高町越えの中間あたりに中谷大宮諏訪神社があるのですが、その先の険しい地蔵峠越えと鳥越峠越えには諏訪神社が見当たりません。
大峰峠越えの宮本諏訪神社
ボッカ宿跡と白池諏訪神社跡
さらに鳥越峠の麓の横川にも「千国街道の中継点の一つ」と記されていますから、ここにも宿場と諏訪神社があったのかもしれません。この古道は、奈良時代には官道になっていたのですから、中継点とは駅家(うまや)のことでしょうか?
鳥越峠越えから地蔵峠越えに差し掛かる手前の長者平には「70戸ほどの宿場があったが、武田勢との戦で焼き払われた」と記されています。大きな宿場だったようですからここには諏訪神社もあったと思われますが、宿場が焼き払われた時に諏訪神社も焼けてしまったのでしょうね。
かつて70戸の宿場があった長者平と古道の中継点の横川
武田軍は千国古道を北上し、上杉軍は南下してきて戦ったのですね。この古道には、上杉の援軍が到着のホラ貝を吹いた「貝の平」とか、間に合わずに平倉城から火の手が上がるのを見て上杉の援軍が悔しがって地団太を踏んだ「地団太」とかの戦いの痕跡を示す地名が残っているようです。「故事付け」かもしれませんけれど(^_-)。
地団太・貝の平
実は最初の計画では、「塩の道」だと思い込んでいた148号線を辿りながら、その周辺にたくさんある諏訪神社を訪ねてみるつもりだったのですが、出かける直前になって塩尻には日本三大遺跡と言われる「平出遺跡」があることか分かったので、急遽計画を塩尻探訪に変更してしまったのです(^o^)。
でも怪我の功名で、これは大正解でした\(^o^)/。行ってみようと考えていた諏訪神社はみな中世の千国街道や古代の千国古道沿いにあって、車で簡単に回れるような所ではなかったようですし、塩尻に行ってみたことで塩尻~松本~安曇野が古代には海だったことを確信できたのですから(^o^)。
けれど、もし最初の計画通りに諏訪神社に向かっていれば、帰ってきてからではなくその場で148号線は「塩の道」ではないことが分かったのでしょうね(^_^.)。