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Channel: 歴史探訪
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中谷大宮諏訪神社

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2016.5.27 中谷大宮諏訪神社

 

今回は、糸魚川―静岡構造線を見るために出かけて行ったのですが、147号線は元は海だった松本盆地の中を走る平坦な道で構造線ではなかった上に、148号に入ると今度は長いトンネルが続いて周辺の地形はほとんど見えず(T_T)、途中で行ってみようと思っていた所もいつの間にか全部通り過ぎてしまっていました<(_ _)>

 

けれど、チェックインの時間も迫っていたのでそのまま宿に向かい、翌日朝のうちに小滝川ヒスイ峡と根知の構造線の露頭を見てから糸魚川まで行ってフォッサマグナ・ミュージアムと長者ヶ原考古館をざっと見た後、通り過ぎてしまった所を探しながら148号線を白馬村まで引き返して長野市へ向かうことにしました。

 

前日は148号線にトンネルがあるということを知らず、ましてトンネルが延々と続いていて何も見えないなどとは考えてもいなかったので、翌日戻る時には地形の見える旧道を行ってみたいと思ったのですが、旧道は通行止めになっていたため、まずは「道の駅小谷(おたり)」へ行って買物をしつつ付近の案内図を入手しました。私の行きたい所は観光スポットではないところばかりなので、普通の地図やナビにはあまり載っていないのです<(_ _)>

 

148号線の周辺にたくさんある諏訪神社の歴訪は時間がないので諦めたのですが、中土の「中谷大宮諏訪神社」は小谷村の総社で「大宮」であり、諏訪の御柱祭が行われる前の年には、中谷大宮諏訪神社例祭に合わせて「式年薙鎌(なぎがま)打ち神事」が行われることなどが分かったので、諏訪大社やタケミナカタとの関係が深いようだから、祭神はタケミナカタのたくさんの子供達のうちの誰かの支配地だったのかもしれないと考え、場所や由緒から何か分かるのではないかと思ったので、ここには行ってみたかったのです。

 

前日はそこへ向かう道が分からず通り過ぎてしまったのですが、神社の方へ向かう道はトンネルの切れ目にありました。148号線からかなり山の方へと走りながら、普通なら総社は地域の中心部や街道沿いなど各地からの人が集まりやすい所にあるはずなのに、この神社はどうして千国街道からこんなに遠く離れた山の方にあるのだろうと疑問に思いました。

 

中谷大宮諏訪神社

イメージ 1

イメージ 2

 
イメージ 3

やっと辿りついた神社では殆ど何も分からなかったのですが<(_ _)>、神社があったのは↓のような山地だったのに、

イメージ 4

うっそうとした山の中という感じではなく、明るく開けていて郵便局があったので、昔は人口の多い大きな集落だったのではないかと思い、周辺にいくつもの諏訪神社がある中で、この神社だけに「大宮」が付いているのは、この神社がその地域の諏訪神社の総社だったからなのかもしれないと考えました。

 

以前pcat2sさまから「外県大宮諏訪神社」のコメントを戴いた時、「諏訪神社」と「大宮諏訪神社」とは何がどう違うのだろう?と疑問を持ったのですが、長野県内にいくつかある「大宮諏訪神社」とは、その地域の諏訪神社の総社だったのではないでしょうか(^o^)

 

↑を書いた3月には、私はまだ行ったことがなく、行く予定もなかったので、資料などから148号線には「糸魚川―静岡構造線の断層によってできた谷が糸魚川まで続いているのだ」と思いこんでいたのですよね~。実際に行ってみないと、資料を読んだだけでは分からないことって本当にたくさんあるのです<(__)>

 
 

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