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洗馬(せば)宿

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2016.5.25 洗馬(せば)宿

 

塩尻では、宿場町の街並みが保存されているようだということが分かったのですが、時間がなかったので資料だけでもと思い、洗馬宿にある歴史の里資料館・釜井庵に行ってみることにしました。実は釜井庵ってなんだろう?お蕎麦屋さんかな?おソバの資料館かな?と全く的外れなことを考えていたのですが(^o^)


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 釜井庵
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 庭には絶滅危惧種のクマガイソウがたくさん咲いていました。 
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そういえば、植物にもヒスイがあるんですよ(^o^)。各地の温室で、いまちょうど咲いているところです。

 

ヒスイカズラ 

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洗馬郷は、後に会津藩主となった徳川秀忠の庶子の正之が高遠藩主保科正光の養子になったため、その養育料として高遠藩に与えられたので、松本藩領内だけれど高遠藩の飛び地になっていたのだそうです。だから会津藩主は徳川正之ではなく「保科正之」だったのですね。どの資料館に行っても何かしら「ああ、そういうことだったのか」と分かり、どこかと繋がってくるものがあるので、資料館を見つけたらとりあえず行ってみることにしているのです\(^o^)/。

 

釜井庵は戦国時代に妙義山城城主だった三村氏の居館の跡地にあって、江戸時代には菅江真澄がここに1年間滞在し、「真澄遊覧記」の信濃に係わる部分はここで書かれたのだそうです。私は「神長官・守矢史料館のしおり」で初めて菅江真澄を知ったのですが、諏訪大社の御頭祭の飾りつけの復元の元となった記録や図はここで書かれたのですね(^o^)

 

菅江真澄のスケッチ

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 守矢史料館に展示されているスケッチを元に復元された兔の串刺し
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 耳裂け鹿
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 脳和(のうあえ)・焼皮
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昨日の新聞には【「記録魔」農家の矜持つづる】というコラムがあったのですが、時が過ぎれば忘れられ、消え去っていってしまうモロモロのことを自分の利益のためではなく記録して書き残した人がいるということはすごいことですね(^o^)
 

『記紀』や旧家の文書などももちろん書き残された「文献」ではあるのですが、先祖は天から降って来たカミサマだとして自分達を神格化し、正当化するようなことばかり書いてあって不都合なことは書いてない「文献」は、目的があって創られたものであって事実を記録したものではないようです(^_-)

 

コラムの「記録魔」は、明治から昭和にかけて福岡県北部の芦屋町に住んでいた篤農家の「安高団兵衛」という方で、11歳から70歳で亡くなるまで、身の回りのありとあらゆる出来事を詳しく日記に記していたのだそうです。

 

就寝時間や入浴回数の統計や日々の天候や風向きの統計なども記されているそうで、毎日それだけのことを記す時間を作れたことや、60年間もそれを続けた根気や、記すまで様々なことを覚えていた記憶力にはただただ感嘆するばかりですが、世の中には色々な能力を持った人がいるものですね~(^o^)


 

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