2016.6.7 穂高神社と安曇野3 日光泉小太郎
本を購入して駐車場に戻りかけた時、社務所の前に奇妙な像があることに気が付きました。後ろからその像を見て、亀の背に乗って竜宮城に向かう浦島太郎かな?安曇族は海人族だから竜宮伝説でもあるのかな?と思ったのですが・・・・・
改めて↑の説明を読み、日光泉小太郎について調べてみると、これはかつて湖だった松本盆地を犀龍とその子の日光泉小太郎が水を抜いて陸地にし、開拓したというこの地に伝わる伝説だということが分かりました。松本盆地や安曇野が海だったということは、こういう形で伝わっていたのですね\(^o^)/。
古代には海だった盆地には、奈良盆地にも、沼田盆地にも、会津盆地にも、甲府盆地にも湖だったという伝説が残っていますが、ここにもやはり湖伝説がありました。安曇野はやはり海だったのです。
この安曇野の伝説は、「景行天皇12年頃まで、松本のあたりは山々から流れてくる水を満々と湛える湖であった。その湖には犀竜が住んでいて、東の高梨の池に住む白竜王との間に一人の子供をもうけた。その子を日光泉小太郎と名付けたが、母である犀竜は自分の姿を恥じて湖の中に隠れてしまった。
筑摩郡中山の産ヶ坂で生まれ、放光寺で成人した小太郎は、母の行方を捜して尾入沢で再会を果たした。そこで犀竜は自身が建御名方神の化身であり、子孫の繁栄を願って顕現したことを明かす。そして、湖の水を流して平地とし、人が住める里にしようと告げた。小太郎は犀竜に乗って山清路の巨岩や久米路橋の岩山を突き破り、日本海へ至る川筋を作った」
というオハナシなのですが、龍も犀竜も架空の生き物ですし、百歩譲って昔はそう呼ばれていた動物が本当にいたのだとしても、異種の動物間に子ができるはずはなく、まして生まれたその子が人間であるはずもありませんから、これは「ワニと人間との間に神武天皇の父のウガヤフキアエズノミコトが生まれ、母はワニの姿を恥じて実家に帰ってしまった」というオハナシと同じパターンの作り話でしょう(^o^)。
建御名方命はヤサカトメという妻を持つ男性だったのですから、その化身として顕現したなら母親じゃなくて父親だったんじゃないかな~?と思いますしね(^_-)。
『仁科濫觴記』には、大昔に山清路を人の手で開削して松本盆地を排水、開拓したとする記述があるので、それをこの伝説の由来とする説があるそうですが、実際はそんなところでしょうね(^o^)。
その大昔に松本盆地を開拓した人とは長野一帯の湿地を開拓して「開拓の神」として各地に祀られているタケミナカタの子孫達だったのではないでしょうか(^o^)。
『古事記』が架空の景行天皇の時代に設定しているのは、ちょうどスサノオが渡来し、その子のタケミナカタが諏訪にやって来たころのようですし、当時湿地や沼や潟だった長野から新潟にかけてはおびただしい数のタケミナカタを祀る諏訪神社や、タケミナカタの子孫達を「開拓の神」として祀る神社がありますし、日光泉小太郎はタケミナカタの子だとされているのですしね(^o^)。
『龍の子太郎』は、松谷みよ子氏がこの伝説を元に創作したオハナシだそうですが、『仁科濫觴記』の記述を元にして「日光泉小太郎」のオハナシ(伝説)が創られ、その伝説を元にして『龍の子太郎』のオハナシが創られたということのようですね(^_-)。