タケミカヅチノミコトの墓2
2017.3.29 タケミカヅチノミコトの墓2 鹿島にタケミカヅチの墓(古墳)がないのは、崇神天皇の息子のタケミカヅチノミコトは東征後に那珂国(なかのくに)の初代国造になって現在の水戸市に住み、そこで亡くなったからで、タケミカヅチは自分の支配地だった那珂国の、茨城県内では最大級の前方後円墳である墳丘長136.5mの愛宕山古墳(水戸市愛宕町)に葬られているのです。 愛宕山古墳 高さは10mあり...
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2017.4.1 タケミカヅチの墓5 大井神社の由緒には、祭神は(『古事記』の荒唐無稽なカミサマではなく)崇神天皇の時代にやって来て那珂国の初代国造になった「建借馬命(タケカシマノミコト)」、つまりニンゲンであることや「臣」、つまり天津族の王族であることがはっきりと記されていました(^o^)。...
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2017.4.2 歌姫明神 [ どすこい母ちゃん ]さまが教えて下さった小野崎城址と歌姫明神へ行ってきました\(^o^)/。 歌姫明神は、県道41号線を曲がってすぐの所だったのですね。羽鳥道をキャンプ場まで行ってみたのは2007年だったのですが、気付かずに通り過ぎてしまったようです。当時は『常陸国風土記』の記述にある地形を確かめたくて、土地勘もないまま走り回っていたのです(^_-)。...
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2017.4.3 歌姫明神2 昨日は、靖国神社の標本木が満開になったということでしたが、筑波周辺の桜はまだ蕾で、小田城址の桜もまだ↓くらいの咲き具合だったので、お花見も兼ねて、という目論見はハズレてしまいましたが(^_^.)、それを補ってあまりある発見がいろいろありました\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/。...
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2017.4.4 歌姫明神3 高橋虫麻呂が参加した歌垣は、歌姫明神だったのか夫女が原だったのかということに関しては、虫麻呂は国司に随行して官人として石岡の国府にやって来たのですから、虫麻呂が視察に出向いたのは平沢官衙だったのではないでしょうか。虫麻呂は那珂郡の郡衙(現在の茨城大学)にも出向いて、「曝井(さらしい)」の歌を残していますしね。 曝井...
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2017.4.5 小田城 4.2には、矢田部i.c~小野崎の八坂神社~小野崎城址~小田城址~平沢官衙遺跡~歌姫明神~桃山中学校という行程で回ってみたのですが、やはり筑波の周辺は本当に気持ちのいい所ですし、行くたびにいろいろな発見があるんですよね(^_-)。...
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2017.4.6 小田城2 小田城址のすぐ近くには出土物や説明を展示する案内所もできていて、以前城跡にあった大きな五輪塔はここの駐車場の隅に移されていました。ここは去年の4月にオープンしたのだそうです。 案内所 歴史のひろば 駐車場の隅に移された五輪塔...
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2017.4.7 藤沢城 2011年には、矢田部i.cからではなく、土浦北i.cから125号線で「つくば道」に向かったのですが、平沢官衙や小田城の近くを通るこの道は古い街道のようで、途中にも城下町のような街並みがあり、そこには城跡があるのではないかと思われる小高いところがあったので行ってみました(^o^)。 新治ふるさとの森の上から...
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2017.4.8 藤原氏・八田氏・小田氏 八田氏は小田に来て「小田氏」になったわけですが、それでは八田氏になる前は何だったのかというと、宇都宮でお坊さんになっていた人もいたようですが、ずっと遡るとその大元は藤原北家ですから「本姓は藤原」だったのですね。知家の姉が頼朝の乳母になっていたので頼朝の信任が厚かったということでしょうか(^o^)。 小田氏系図...
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2017.4.9 中臣氏・藤原氏 紀元前の神武天皇は架空の人物ですから子孫などいるはずもないのですが、藤原氏の子孫は現在もたくさんいますね。「本姓・藤原」を買って藤原氏になった人や形式上「本姓・藤原」を名乗った人の子孫も混じっているかもしれませんが(^_-)。...
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2017.4.13 鹿島氏・行方氏 水戸へ支配を広げた5代目常陸大掾平致幹の弟の清幹は吉田郷を領して「吉田氏」となり、その3人の息子は長男が吉田郷を継ぎ、次男は行方、三男は鹿島に移って「行方氏」「鹿島氏」になったようです。 清幹(吉田氏)―盛幹(吉田太郎) |-忠幹(行方次郎) |―成幹(鹿島三郎)...
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2017.4.14 中臣氏と豊臣氏 常陸大掾の一族の吉田氏(本姓・平)→江戸氏(藤原)→佐竹氏(源)によって支配されてきた水戸は、佐竹氏が家康によって移封された後、水戸徳川家の支配地になったわけですが、「得川氏(源)」の系図を買って「本姓・源」になった家康は源氏でも平家でも藤原でもなかったようです(^o^)。...
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