Quantcast
Channel: 歴史探訪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

タケミカヅチの墓4

$
0
0

2017.3.31 タケミカヅチの墓4

 

2009年にこのブログを始めたばかりの頃、なぜ韓国では大統領を務めたほどの人がみな犯罪者として告発されてしまうのだろう?と疑問に思い、2011年に「儒教体制」に問題があるのではないか、その体質が変わらない限り選挙で新しい大統領が選ばれてもまた同じことになるのではないかと考えたのですが、やはりまた朴権恵大統領が収賄などで逮捕されることになってしまったようです<(_ _)>

 

北朝鮮では権力の継承を巡って異母兄弟殺しや対立陣営の粛清が古代そのままに続いていますし、歴史って本当に同じことの繰り返しなのですね。この事件はウヤムヤのまま政治的な幕引きとなるようです。

 

古代史に戻ります。崇神天皇の伯父でタケミカヅチの曽祖父だった意富比古命(大彦命)は、別名や別字での表記がとても多いので混乱の元なのですが<(_ _)>、東征時には摂津の三島地方を本拠として戦い、後に三島を領地とする三島の支配者「三島溝咋命(ミシマミゾクイノミコト)」になっていますから、その墓は三島に造られているはずです。5世紀に築造された全長226mの三島の太田茶臼山古墳が意富比古命の墓でしょう。

 

この「太田茶臼山古墳」を宮内省陵寮は「三島藍野陵」であるとして継体天皇陵に治定しているのですが、継体天皇は6世紀の天皇で、亡くなったのは欽明天皇がクーデター(辛亥の変)を起こして政権を取った531年なのですから、5世紀に造られた墓が継体天皇の墓のはずはありませんよね(^_-)。宮内省陵寮(神祇官たち)の治定って、「嘘ばっか」なのです(^o^)

 

三島の「太田茶臼山古墳」

 
イメージ 1

イメージ 2

 

大井神社の由緒には「初代仲(那珂)国国造の建借馬命の墓である愛宕山古墳は三島山にある」とも記されていました。実際は愛宕山古墳が造られている場所は山ではなく、当時は海だった水田地帯から立ち上がる標高20mの洪積台地の縁なのですが、下から見ると樹木の茂る20mの急斜面のハケは山のように見えるのですよね。


「真間の手児奈伝説」の残る千葉県市川市の真間山もやはり山ではなく、同じような20mの洪積台地の縁でしたから、当時はこのようなハケを「山」と言っていたようです。

 この「三島山」の名は、意富比古命の摂津国の領地の三島から、「大井(意富比)神社」の名は意富比古命から、「鹿島」の名は意富比古命の肥の国の領地の鹿島から、「飯富(いいとみ)村」の名は意富から付けられた地名だということでしょうか(^o^)。そういえば、愛宕山古墳の下を流れている川は「那珂川」という名なのですが、那珂川は佐賀にもありますね(^o^)
 

不比等は、鹿島神宮の祭神を「鹿島の三笠山」から奈良の春日大社に遷して藤原氏の氏神とし、その春日大社を造った場所を「三笠山」と名付けたようですが、地名には何かしら根拠があるのですよね(^o^)。でも、三笠山に造ったのに「三笠大社」ではなく「春日大社」なのは、この山が「三笠山」になる前は「春日山」だったからでしょうか(^_-)

 

グーグルの地図ではこの山は「若草山」になっているのですが、拡大すると「花山(奥山)」と出てきますし、南の方は「春日山」となっています。西の方には手向山八幡宮がありますから、この山は手向山とも呼ばれているのでしょうか?私は今でも若草山と、春日山と、三笠山(御蓋山?)がどこのことを言うのかよく分かりません<(_ _)>




Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

Trending Articles