2015.10.27 思い込み・・・アンモナイトって貝じゃないの?
Killyさまのコメントを拝見して、生きたままたくさんの貝が一度に化石になってしまったのなら火山灰説が有力のようだけれど、その地層が火山灰でできているということは確認されているのかな?と考えました(^o^)。周りに火山灰が全くないのであれば、「火山灰に覆われた」と考えることはできませんよね(^_-)。
ところで火山が存在しているのなら誰が見たってその火山はそこにあるように、高天原が本当に天上に存在していたなら、日本人だけではなく誰にとっても存在していたはずだとは思いませんか? 私には『古事記伝』やそれを元にした古代史解釈は、火山もないし噴火も降灰もないのに「火山灰に埋まったと考えればよい」と言っているように思えるのですが(^_^.)。
とても「歴史書」とは思えない『古事記伝』を書いた本居宣長は歴史学者だったのだろうか?とふと疑問が湧いてきたので調べてみると、本居宣長は「江戸時代の国学者・文献学者」だったそうで、歴史学者ではなかったようです。
それでは「国学」って何なのだろう?と調べてみると、「日本の古典を研究し、儒教や仏教の影響を受ける以前の古代の日本にあった、独自の文化・思想、精神世界(古道)を明らかにしようとした学問」だそうですから、国学や文献の解釈学は「国粋主義的哲学」とでもいうような思想的・観念的なもので、初めから現実の歴史や世界の歴史との整合性などとは無関係なものだったようです(^_^.)。
でも、『古事記』が書かれた8世紀初めにはすでに仏教も儒教もキリスト教もその他の宗教も日本に入って来ていたのですから、『古事記』には「儒教や仏教の影響を受ける以前の古代の日本にあった、独自の文化・思想、精神世界(古道)が記されているはずだ」ということ自体、本居宣長の誤った思い込みだったのですけれどね~<(_ _)>。
8世紀初めに作られた『古事記』という文献を、「儒教や仏教の影響を受ける以前の古代の日本のもののはずだ」という思い込みで本居宣長が自分の思想に合うように観念的に解釈したものが『古事記伝』の正体のようです。
なんの検証もせずに「・・・と考えればよい」「・・・と考えてよい」という手法を使ってつじつまを合わせていたのは、思想的・観念的な解釈で「私はそう考える、そう考えたい」ということだから現実との整合性や裏付けや検証などは必要ないということだったのですね。
そういう手法で「歴史書」としてではなく「思想書」として本居宣長が解釈した『古事記伝』を、後の歴史学者が勝手に「本当の日本の歴史」だと思い込んでせっせとつじつま合わせをしてきたということなのでしょうか(^o^)?
思い込みと言えば、恐竜センターにチューブのようなものが螺旋状に伸びた化石が展示してあって、そこに「アンモナイト」と表示してあったので、アンモナイトというのは巻貝だと思い込んでいた私はビックリしたのですが、アンモナイトは貝ではなく、イカのような頭足類だったのだということをここで初めて知り、またも眼からウロコでした(^o^)。確認もせずに思い込んでしまっていることって本当に多いですね。
私は↓のような化石しか見たことがなかったので巻貝だと思い込んでいたのですが、
実際は↓のような生き物で直径1㎝にも満たないものから2mにもなるものまでいろいろな種類がいたそうです。
ところで、昨日はアフガニスタンでM7.5の大地震があったそうですが、やはり最近はプレートの動きが激しくなっているようです<(_ _)>。ヒマラヤの頂上の位置や高さはまたいくらか変ったのかもしれませんね。