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月形は遠浅の海だったのか、深海だったのか?

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2015.10.25 月形は遠浅の海だったのか、深海だったのか?

 

それでは「推定全長18m・体重30tの国内最大級のクジラの化石が533万~360万年前の地層から見つかった」という北海道の月形町は、記事に記されていたような「遠浅の海」だったのでしょうか、それとも私が考えたような「巨大なクジラやサメの泳ぐ深い海だった」のでしょうか?

 

私は、理論からではなくごく普通に常識的に考えて、埼玉県・深谷市の12mのカルカロドン・メガロドンのような巨大なサメが陸地や浅瀬にいたはずはないから、その巨大ザメがいた頃にはそこはそれらが生息する深い海だったのではないか?と思ったので地形や海面の高さの方が変化したのではないかと考え、月形町も巨大なクジラがいたのなら深い海だったのだろうと考えたのですが(^_-)、埼玉県の荒川周辺も北海道の石狩川周辺も、当時は実際に深い海であったことを、プレートテクトニクスは理論的に説明できるようです(^o^)

 

カルカロドン・メガロドンの歯の化石が出土した荒川 

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プレートの移動につれてユーラシア大陸の東に運ばれてきた堆積物などが、プレートが沈み込む時に境目に残されて大陸側に押し付けられ、順次海底から押し上げられて付加体となっていき、その付加体が大陸から剥がれはじめたのは1600万年前頃だそうで、中央構造線博物館では、この時現在の日本列島の真ん中あたりから観音開きの扉が開くように剥がれていって日本海ができたのだと説明していただきました。↓の図のように、剥がれはじめたころの東日本や北海道はたくさんの島の集合だったようです。


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現在の埼玉県は、古代には「海の無い県」どころか周囲を全部海に囲まれた島だったのですね(^o^)

 
北海道は↓のような島々だったようです
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島と島の間は海だったのですから、今は内陸や山や平野になっている所でも、その頃は深い海だったのです。プレートの移動は年に数㎝だそうですから、2500万~400万年前の荒川流域の深谷市はまだ体長12mのサメが泳いでいる海であり、533万~360万年前の石狩川流域の月形町もまだ体長18mのクジラが泳いでいた海だったのでしょう(^o^)

 

パレオパラドキシアは恐竜が絶滅した後に現れた海棲哺乳類で、中新世前期~中期(1800万年前~1400万年前)の地層から出土するのだそうですから、ユーラシア大陸から付加体が剥がれて日本列島が出来始めた頃に生息していたようです。その頃の秩父盆地は秩父山地に囲まれた湾で、海辺にはパレオパラドキシアが住み、湾の外は巨大なサメやクジラが泳いでいる海だったということのようです。

 

海底火山の噴火や、プレートの移動や沈降、それに伴う付加体の隆起、海進、海退などで地形は大きく変化し続け、「古秩父湾」も深海化したり、隆起して浅くなったり、ついには海からは遠い内陸の盆地になってしまったりと大きく変化し続けていたようです。


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