地図では、月隈や金隈を流れている川は「御笠川」ではなく「牛頸川」になっていました。
川は、河川改修や付け替えによって形や流れている場所が変わってしまっているばかりではなく、流れている場所によって呼び名まで違っていることが多いので、ヨソ者にはよく分からないのですよね(T_T)。つい最近も神田川と江戸川が同じ川だということが分からなくて混乱してしまったのですが<(_ _)>。
神田川の縁に立っている「江戸川公園」の碑
「御笠川」なのか「牛頸川」なのか調べてみると、牛頸川と御笠川は大野城市で合流していて、合流後はグーグルの地図では「牛頸川」になっていましたが、別の地図では「御笠川」になっていました。どっちなのでしょうね?
最初は見間違えて「牛頭(ごず)川」だと思ったのですが、「牛頸(うしくび)川」という珍しい名前だったので「牛頸川」を調べてみたら、この名前は縄文時代にこの付近が海岸線だったために「入江」を表すアイヌ語の「ウシ」から付けられたという説があるということが分かりました。地名は地形から付けられていることが多いので、私はここまで古い地名から当時の地形を推理してきたのですが、ここでも牛頸川が昔は海で入り江だったということが地名に残っていたようです\(^o^)/。
弥生人が渡来してくるまで日本列島に住んでいたのは縄文人なのですから、彼らがここを「ウシ(入り江)」と呼んでいた可能性は高いのではないでしょうか。金隈から東は山地になっていますから、金隈は確かにウシ(入り江)のクマ(奥・隅)だったようです(^o^)。
この牛頸川(御笠川)は、金隈の辺りでは標高14mの高さを流れていますから、ここが入り江だったなら、金隈より下流にあって標高10mの板付遺跡の辺りが縄文時代や弥生時代の早期に水田が作られていたような陸地だったはずはありませんよね。板付遺跡が弥生時代早期の遺跡で、その地層の下には縄文晩期の水田もあったというのは本当なのか?とますます疑問が募って来ました<(_ _)>。
「隈」を調べていたら、「日田市には三隈川(日田川)に沿って日隈・月隈・星隈という3つの丘陵と隈山という丘陵があり、古くは古墳や寺院、城地として利用されていた」という記事がWikipediaにあり、「隈の字には丘という意味がある」と記されていたのですが、「隈」とは川の屈曲した所のことなのでしょうか、丘のことなのでしょうか???
考えてみたのですが、丘陵があると海はそこで行き止まりのクマ(奥・隅)になり、海が退いていくと海までの水路として残る川は、その丘陵の裾にそって屈曲した流れになりますから、どこを見ているかの違いのようですね(^o^)。
「クマ」という場所の現在の地形を川で見ている人は「クマとは川の屈曲した所のことである」と解釈し、川の向こうの丘を見ている人は「丘のことをクマという」と解釈したということのようです。
今でも「○○島」や「××浜」などの地名が内陸に残っているように、地形が変わって入り江がなくなってしまっても、「クマ」という地名はそこに残り続けていたということだろうと思います。
キラウェア山が再び爆発的噴火をして溶岩流が海に流れ込み、有毒ガスを含んだ水蒸気が発生して大気汚染が心配される事態になっているそうです。地面の亀裂からは有毒ガスの二酸化硫黄が噴出し続けていて、溶岩流が地熱発電所に達すると爆発の恐れもあるようで、火山活動はますますエスカレートしているようです<(_ _)>。