2018.5.22 板付遺跡7
私は今回行ってみようと思うまで、福岡空港も板付遺跡も福岡のどこにあるのかよく知らなかったのですが<(_ _)>、板付遺跡は福岡空港のすぐ近くにありました。
福岡空港は、昭和19年に陸軍が「席田(むしろだ)飛行場」として建設したのが始まりで、終戦時に米軍に接収されて板付空港(イタヅケエアベース)と呼ばれるようになり、昭和47年に米軍から返還されて福岡空港と呼ばれるようになったのだそうです。「席田エアベース」ではなく「板付エアベース」になったのは、米軍の住宅が板付にあったからだったようですが(^o^)。
現在の福岡空港には、航空自衛隊春日基地板付地区、海上保安庁第七管区海上保安本部福岡航空基地が併設されていて、空港ターミナルから板付方面を見ると、航空自衛隊の建屋があるそうですが、行った時には知らなかったので全く気が付きませんでした。「視覚を真に司っているのは知識」で、知らないものはあっても見えないのですよね(T_T)。チコちゃんに「ボーッと生きてるんじゃねーよ!」と叱られてしまいますね(^_^.)。
板付村は明治に那珂町になり、那珂町は昭和30年に福岡市に編入されて博多区の一部になったのだそうですが、遺跡が発掘されたことで「板付」の地名が注目を集めるようになったのだそうです。
地名といえば、この周辺では「月隈」や「金隈(かねのくま)」など、「隈」の付く地名が目に付いたので、「隈」って何だろう?地形を表す言葉かな?と気になって調べてみたら、九州には「クマ」の付く地名がとても多いということが分かりました。
福岡には月隈・金隈のほかにも雑餉隈(ざっしょのくま)・干隈・田隈などがあり、文字では「久万、球磨、隈、神」などが当てられているそうで、熊本も元は「隈本」と書いたのだそうです。
「クマ」はやはり地形を表す言葉で、「川が曲がったところ」や、「川が曲がった結果のすみの方、奥まったところ」を指すそうで、雑餉隈・月隈・金隈は御笠川が、田隈は金屑川が大きく屈曲している場所にあるそうですし、佐賀県の帯隈や鈴隈など七つの「隈」は、それぞれ有明海の奥まったところにあるそうで、千曲川や球磨川も川が曲がりくねっていることから付いた名前のようです。
空港から板付遺跡に向かった時、川が屈曲していることには気が付かなかったのですが、地図を確かめてみたら確かに屈曲していました。この地形は関東ではおなじみの縄文時代からの貝塚や遺跡の並んでいる標高20m前後の洪積台地の端(はな)の形なのですが、ここは遺跡のある場所の標高が10mしかないのですよね。関東でも岡山でも標高10mは平安時代頃まで海だったのですが・・・・・
その上、ここでは
弥生I層(弥生時代前期)より下の縄文時代晩期末の土層から大区画の水田跡と木製農機具、石包丁なども出土した
とされているのです。
もしそれが事実なら、福岡のこの辺りだけは縄文時代にすでに標高10m以下のところも水田が作れるような陸地になっていて、稲作が始まっていたということになるのですが、本当にそうなのでしょうか?地殻変動や潮位の差があったとしてもここだけということはありえないと思うのですが・・・・
この問題にはがなかなか納得できるような論理的な説明が見つかりません<(_ _)><(__)><(_ _)>。
納得できないので、「縄文時代晩期末の土層から大区画の水田跡と木製農機具、石包丁などが出土した」というのは本当なのだろうか?と「旧石器捏造事件」があったことを思い出してしまいました<(_ _)>。
キラウェア山では流れ出した溶岩が海に達して、有毒ガスの発生が心配されているようですが、先月噴火した霧島連山の硫黄山では川が牛乳のように白く濁ってヒ素などの有毒物質が高濃度に検出され、大量の魚の死骸も発見されているそうです<(_ _)>。