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板付遺跡5 江辻遺跡と松菊里(ソングンニ)遺跡

2018.5.20 板付遺跡5 江辻遺跡と松菊里(ソングンニ)遺跡
 
縄文時代晩期から弥生時代にかけてはまだ海だったはずの標高10mの沖積地に、なぜ福岡では水田や環濠集落があるのだろう?この集落や水田が弥生時代早期のものだという推定が間違っているのではだろうか?とますます疑問は募るばかりだったので、同じ頃の集落だという粕谷町の江辻遺跡の標高を調べてみようと思ったのですが、江辻遺跡は地図にはなくて場所が分かりませんでした<(_ _)>
 
けれど、江辻遺跡の住居と同じものが韓国中部の忠清南道の松菊里(ソングンニ)遺跡で発見されていたため、この遺跡の住居は「松菊里型」と呼ばれており、板付遺跡の住居はそれを元に復元したとのことなので、松菊里遺跡はいつ頃のものなのかを調べてみたところ、この遺跡は韓国の時代区分では「無文土器時代」の朝鮮半島では最大規模の集落跡なのだそうです。
 
韓国の「無文土器時代」とはBC1500AD300のことだそうですから、日本の時代区分では縄文時代晩期から古墳時代の初めの頃のことになりますが、松菊里に青銅器が現れたのは無文土器時代の中期後半になってからだそうです。
 
すると板付遺跡の甕棺からは青銅器が出土しているのですから、論理的には板付遺跡は無文土器時代の中期後半以降の遺跡だということになりますね。ホモ・サピエンスは日本から朝鮮半島に移動して行ったのではなく、アフリカから朝鮮半島などを経て日本にやって来たのですから(^o^)
 
古いものを棺に入れることはできても、その時代にはまだなかったものを棺に入れることはできませんから、標高から見ても、出土品から見ても、やはり板付遺跡は縄文時代晩期や弥生時代早期の遺跡ではないようです。
 
このように、古代史の学者さんたちの解釈は、私には納得できないものばかりなので、私にとって去年の流行語大賞はちがうだろ、ちがうだろ~~~!!がダントツ一位だったのですが(^o^)、明らかな矛盾に疑問も持たずに先学の説を踏襲している解釈や解説を見ると、チコちゃんに「ボーッと生きてるんじゃねーよ!!!叱ってもらいたいものだと切に思います(^o^)
 
そういえば、昨日も一つ「ちがうだろ、ちがうだろ~~~!!」と思ったものがありました(^_^.)
 
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イメージ 1

 
「前方後円墳は西暦600年頃を境にほぼ全国的に築造が終わる。これは大和政権が古墳の築造を強く規制したからだ」というのはそのとおりでしょう。あのような巨大な墓を造るだけの財力や権力を持っていて墓の大きさを競っていた人たちが、強制もされないのに一斉に自発的に築造を止めたりしたはずはありませんから。
 
けれど「薄葬令」が出されたのは646年だというのはどうでしょうか?巨大な前方後円墳が西暦600年頃には造られなくなっていたということは、「薄葬令」が出される50年も前に全国で一斉に築造を止めていたということになりますよね。なぜ法令もないのに全国で一斉に止めたのでしょう?そして、600年にはもう誰も巨大な前方後円墳を造らなくなっていたのに、なぜ646年になってからわざわざ「薄葬令」を出す必要があったのでしょう?
 
論理的に考えるならこれは「薄葬令」が出されたのは600年より前だったということであり、646年に天智天皇が出したというのはウソだということだと思うのですけれどね~。
 
600年頃には前方後円墳の築造は終わっていたけれど、法令が出されたのは646年だと考えればよい」というのは『記紀』信奉者の歴史学者さんたちがお得意とするつじつま合わせの解釈でしょう(^_-)
 
私は「ちがうだろ、ちがうだろ~~~!!」と言いますから、チコちゃんは「ボーッと生きてるんじゃねーよ!!!」と言ってやってください(^o^)




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