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2018.5.13 古代の海

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2018.5.13 古代の海
 
古歌や『常陸国風土記』の記述から関東の地形の変化を考えはじめ、近い所から現場検証を繰り返しているうちに関東平野は古代には海だったことが分かってきたのですが、だんだん検証の範囲を広げてみると、平野が海だったのは関東だけではなく、濃尾平野も新潟平野もみんな海だったことが次々に確認できてきました\(^o^)/。
 
地図を見ると、福岡市から太宰府市・小郡市・久留米市・柳川市を通って、玄界灘から有明海までずっと平野が続いているので、私はこの平野も古代には海だったのではないかと考えていたのですが、9年前に『まぼろしの邪馬台国』を読んで、ここが水道であったことを宮崎康平氏がすでに確認していらしたことが分かったので、いつかはこの水道と、伊都国と志摩国の間にあったという水道を確かめに行ってみたいと思っていました(^o^)
 
ここ3~4年の間に、地球が46億年前に誕生してから陸地ができてくるまで、地球の表面は全部海だったことが分かってきたので、ヒマラヤの上からウミユリやアンモナイトの化石がごろごろ出てきても、高い山のてっぺんが海の生物の死骸である石灰岩やチャートでできていても、標高30004000mの所に岩塩や塩湖があってもまったく驚かなくなりましたが(^_-)、ここ2000年くらいの間、どこがいつ頃まで海だったのか、海と古代史や遺跡との関係を確認したかったのです。
 
ところで先日、「会津の山塩 量産狙う」という記事があったのですが、塩湯の沸く会津の裏磐梯も、長野県の大鹿村も海だったのですよね(^o^)
 
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塩を煮詰める釜
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鹿塩の山塩は入手して来ましたが、会津の山塩は、たまたま出かける直前に「ブラタモリ」で紹介されたため、売切れてしまっていて入手することができず、塩飴を買ってきました<(_ _)>。裏磐梯の山塩は、あれ以来ずっと人気が続いていて品薄のようですね(^o^)
 
長野県大鹿村の山塩
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会津の山塩飴
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大鹿村には中央構造線博物館があり、ここで南アルプスは今急激に隆起しつつあるというお話やハワイはだんだん日本に近づいてきているというお話を伺ってプレートテクトニクスに目覚め、地形の変化のメカニズムが理論的に分かってきたのです\(^o^)/。
 
中央構造線博物館があるのは↓のようなところです。 
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