出かける前に福岡には鴻臚館跡があることが分かったので、そこにも行ってみようと場所を調べたら、鴻臚館跡は福岡城の城内にあったことが分かりました。
城の西側には大きな池があるので、外国からの使節をもてなす客館がここに作られていたのなら、この大きな池は当時は海で、船の着く入り江だったのではないかと考えたのですが、貰ってきた「福岡城跡」の資料には、この池は江戸時代には湾入していた入り江(草ヶ江)だったこと、ここに城を作った黒田氏が、この入り江を城の西側を守る大堀として利用したことが記されていて、城の南には「草香江」の地名も残っていました。やはり海だったのです\(^o^)/。
住吉神社の神輿蔵にあった御神輿
海のない県でも行われている「御船祭り」は、歴史学者さんたちが口癖のように言う「謎」や「不思議」ではなく、ちゃんとした論理的な理由や根拠があるのです(^o^)。
船で宮から出御し、船で宮入をするカミサマたちは、天から降ってきたのではなく、建御名方命はその当時の海を通って出雲から諏訪に船でやってきた出雲族のヒトであり、穂高見命はその当時の海を通って宗像から安曇野に船でやって来た海人族のヒトであって、観念的な「神」ではなく、実在したホモサピエンスなのです(^o^)。
穂高神社の御船祭り
住吉神社の祭神が、伊弉諾命(イザナギノミコト)が黄泉の国から戻ってきて禊をした時に生まれた底筒男神・中筒男神・表筒男神だということになったのは、『古事記』のオハナシが作られた7~8世紀以降のことでしょう。それまでは伊弉諾命も伊弉諾命が生んだというカミサマたちも存在しなかったのですから(^o^)。
ところで、5.3にはハワイでキラウェア山が噴火し、住宅近くでも溶岩が噴出して1700人に避難命令が出されましたが、噴水のように湧き出た溶岩は激しく噴石を飛ばして収まる気配がないそうで、5.5にはM6.9の大地震が起き、ハワイ島では40cmの津波も観測されたのだそうです。ますますプレートの動きが激しくなってきているようです<(_ _)>。