2009年に本にした時には私はまだ福岡に行ったことがなくて、福岡平野が海だったということは推理だったのですが、今回の福岡探訪の間に福岡平野は縄文時代には海であり、現在の博多の大部分は江戸時代にもまだ海だったことをあちこちで確認することができました(^o^)。
これまでも「海だったのではないか」と考えて現地へ行ってみると、今は海からは遠い所や海のない県でも、それぞれの郷土資料館には海だったことを示す化石や伝承があり、現地で出会った人と話してみると、干拓地などでは昭和まで海だったことをご本人が実際に知っていましたし、明治まで海だったところではおじいちゃんやおばあちゃんから聞いていたというお話などで確認することができたのですが(^o^)、福岡でもあちこちで確認することができました\(^o^)/。
今は町中にある筑前国一之宮・住吉神社も、櫛田神社も、福岡城も、みな海に面した台地の端に作られていたのです。
住吉神社にあった鎌倉時代の古地図
この絵図では、住吉神社は上方中央の海に突き出した舌状台地の端にありますから、鎌倉時代にはまだここまで海だったのです。
天神・中州は勿論、博多の大部分は海中であり、現在の西公園辺りまでが「儺の津」だったそうで、住吉神社は「儺の津」の中心に作られていたそうです。「儺の津」は「荒津」とも言われ、西公園は「荒津山」と言われていたそうですが、「儺の津」や「荒津」という地名をみると波が荒かったのでしょうね。
標高をみると「荒津山」は41mありますが、周囲は低地のようですから、「荒津山」は島だったようですし、福岡城の西側の大濠公園にある大きな池は江戸時代には海だったようです。ハカタの地名はカタ(潟)からかな?