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Channel: 歴史探訪
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金武古墳群3

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2018.5.3 金武古墳群3 
 
夫婦塚古墳の石室に案内してくださった御主人のお話では、近くに装飾古墳もあって、その調査があったときにそれを見たという話を古墳や歴史に関心をお持ちだった叔父さんからお聞きになっていたそうですが、その装飾古墳は保護のため埋め戻されていて、叔父さんももう亡くなられたそうです。
 
その古墳の場所をお聞きすると、左手に見える小山の上に3つの古墳があったけれど造成のために壊されて、今はその埋め戻された古墳1つだけが残っているということでした。
 
埋め戻された装飾古墳のある小山
イメージ 1

 
そこへは行けませんでしたが、調べてみると「夫婦塚古墳の南西に2001年度から着手された浦江地区圃場整備予定地内の発掘調査によって、12基以上の古墳時代後期古墳からなる浦江古墳群が発見された。1号墳は、浦江古墳群最大の円墳で、直径2225m、高さは34mと推定される。墳丘の周囲には、幅4mの溝をめぐらしていた。主体部の遺存状態は悪く、天井石等は失われていたが、幅約2.2m、奥行き3.1mの玄室を持つ横穴式石室である。石室奥壁には、赤色顔料で渦巻き文様が描かれていた。石室・周溝から鉄製武器(大刀・鏃)、馬具(轡)、装身具(耳環)・須恵器・土師器が出土している。現在は埋め戻して保存され、遺跡説明板が立っている。」ということが分かりました。
 
海面が今より2030m高くてここが浦であり入り江であった頃、ここは背後を山に守られ、前面には遠浅の海が広がる高台で、古墳時代の後期までこの一帯の支配者の住む中心地だったようですね。
 
政庁跡や観世音寺や国分寺の辺りでは、「あれ?ここは奈良だったっけ?」と錯覚してしまうくらい風景や地形が奈良によく似ていると感じたのですが、金武古墳群の辺りから見た景色もまた、奈良で山の辺の道の辺りから見た景色と瓜二つでした。

太宰府の戒壇院
イメージ 2

イメージ 3
 
国分寺跡

イメージ 4

 

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