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金武古墳群2

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2018.5.2 金武古墳群2 
 
一つだけポツンとあったこの古墳がなぜ「夫婦塚」なのだろう?と思ったら、この古墳に寄り添うようにもう1基の古墳があったのだそうで、残っていた横穴式石室の腰石部分から石室の全長が10.5m、周溝内側で一辺が約22mの方墳だったことが分かっているそうですが、現在は石もなくなってしまっていて原型をとどめていないそうです。
 
この古墳の場所は「福岡県福岡市西区金武字浦江」となっているので標高を調べてみると、古墳群があるところは6070mで、そこから緩やかに傾斜しながら北の方に続く平野になっていて、「博多は向こうです」と指さしてくれた平野の先には福岡タワーが見えていました。こういう地形や距離感は、実際に行ってみないと分からないのですよね。
 
やはりこの平野は博多湾のほうから続いていた海の跡で、下を流れる室見川は海までの水路として残ったものであり、「字浦江」という地名から見ても、26支群・147基の古墳があったというこの丘は海辺だったようです。ここでは標高24mの所を流れている室見川は、8m先の福岡タワーのすぐ近くで博多湾に注いでいました。
 
福岡タワーから見た室見川 金武古墳群はこの8km上流にあるわけですね。
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奥に薄く見えている山並みが800m1000m脊振山地、標高250mの日向峠も脊振山地の主な峠の一つだそうです。ここを越えて伊都国に入るとき「伊都国 日向峠」と刻まれた大きな石碑があったのでよく見たかったのですが、交通量が多くて車を止めることができませんでした(T_T)
 
この日は快晴だったのですが、どんなに晴れていてもかすんで見えるのはPM2.5のせいなのだそうです<(_ _)>。大陸や朝鮮半島との近さを実感することになったのですが、ホテルでもタワーでも、聞こえてくるのは圧倒的に中国語や韓国語でした。
 
福岡タワーから見た能古島と志賀島 こんなに近くでもかすんでしまうのですね。
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Wikipediaで確かめてみると「福岡平野(ふくおかへいや)は、主に福岡県福岡市の中心部から春日市・大野城市・太宰府市にまたがる、御笠川や那珂川、室見川、樋井川などの下流域に形成された平野部のことを指す。真鍋大覚の調査により、縄文時代は海底であったことが判明している」そうです。
 

学者さんたちは、平野はみな川が作った氾濫原か扇状地だと決め込んでいるようですが<(_ _)>、川は初めからあったものではなく、海が退いていくに従って海までの水路として残ったものだと私は思います。論理的に考えても、海底に初めから川が流れていたはずはありませんしね(^o^)。でも、学者さんたちの思い込みは論理性よりもずっとずっと強固で、一般人の「学者という肩書き」への信仰はさらに強固なのですよね<(__)><(__)><(_ _)>


ネコビタイ便り
イングリッシュ・ローズが咲き始めました。最初の花は4.28に咲きましたから、やはり1週間くらい早いようです。

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