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台地の端(はな)7 中里富士2

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2018.4.25 台地の端(はな)7 中里富士2
 
中里富士の説明 
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↑には「明治初期に築造されたといわれている」と記されていますが、江戸時代にはその原型があったようですし、ここには「文政5年」の石碑があるそうですし、富士塚が流行したのは江戸時代ですから、明治になってから新しく造られたのではなく、江戸時代に造られて崩れかけていた富士塚を、明治初期に修復してリニューアルしたのではないでしょうか(^o^)
 
江戸時代の富士塚は、何の根拠もないところに造られたわけではなく、既存の塚を富士塚に仕立てていたようです。富士塚流行のきっかけとなった早稲田の水稲荷神社の富士塚(高田富士)は、元は現在の早稲田大学9号館の場所にあった富塚古墳を富士塚に仕立てたようですし、北区十条の十条富士は円墳を富士塚に仕立てたもののようです。
 
十条富士
イメージ 2

 
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この十条台も古東京湾の入り江に面した台地の端であり、ここには十条台古墳群があったそうです。
 
「古東京湾の入り江に面した台地の端にあるこの中里富士も、ひょっとすると古墳なのではないか?」・・・・・ そう考えながら富士塚を眺めていたら、前方後円墳後円部を富士塚に仕立て、前方部に神社が建っているように見えてきました(^o^) 
 
イメージ 4

 
滑り台のある辺りが前方後円墳のくびれ部のようにも見えるのですがう~ん これだけでは古墳かどうかは分かりませんね<(_ _)>。地形やここにスサノオを祀る神社があることを考えるとその可能性は高いのではないかとは思うのですが(^o^)
 
富士塚の左手(前方部?)に建つ八坂神社
 
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