2018.4.24 台地の端(はな)6 中里富士
神奈川でも東京でも、武蔵国の遺跡や古墳や神社は、みな同じような古代には海に面していた洪積台地の端にありましたが、今は海のない内陸の県である埼玉県でも、同じように洪積台地の端には貝塚があり、縄文遺跡があるのです。
「さきたまの津」があった行田市のさきたま神社
↑の石灯籠には「埼玉(さきたま)の津(つ)に居(を)る船の 風をいたみ 綱は絶ゆとも 言(こと)な絶えそね」の歌が刻まれています。
23区内では唯一のカタクリ自生地である「清水山憩いの森」は、埼玉と東京との境に近い大泉町の白子川の南岸にあるのですが、この白子川も2~4世紀の大国主の時代には海だったのです。
白子川の北側の清水山の向かい側にスサノオを祀る八坂神社があるのですが、その八坂神社には大きな富士塚があることを知って、この神社も白子川が海だった頃その海に面した台地の端だったのではないかと考えて行ってみました。
八坂神社の「中里富士」 大きな富士塚でした。
やはりこの神社のある場所も古代には海だった白子川の低地に面した台地の端で、足元には平地が広がっており、富士塚の背後には台地の上の平地が広がっていました。
足元の家々の向こうに見えるのがカタクリ自生地のある清水山のようです。この台地の下から清水山の麓までが古代の海で、現在海までの水路として残っているのが白子川ということのようです。
白子川南岸の「清水山」の東側のハケは「稲荷山」で、北岸のハケは「越後山」ですから、やはり武蔵国では、台地の端はどこでも「○○山」と呼ばれていたようです。