2018.4.23 台地の端(はな)5
加瀬山が島だった頃、この入り江を挟んだ日吉台の対岸は国分寺崖線が続く台地だったのですが、この台地上には多摩川台古墳群・武蔵国府・国分寺・国分尼寺などの多くの遺跡や古墳や神社が並んでいます。
現在は多摩川が東京と神奈川の境になっていますが、律令時代には埼玉・東京からこの入り江を挟んだ対岸の川崎や横浜までが武蔵国であり、武蔵国六之宮・杉山神社は横浜市にあるのですよね。
私はずっと多摩川の向こうの神奈川県は相模国だと思い込んでいたので、以前武蔵国の一之宮から六之宮まで行ってみようと思った時、六之宮の杉山神社を見つけることができませんでした<(_ _)>。2012年になってやっと横浜市にある神社が武蔵国六之宮だということが分かったので2013年に行ってみたのですが、思い込みって本当に怖いですね。
地図で六之宮の杉山神社を探した時、横浜市には杉山神社がたくさんあり、六之宮の杉山神社は神奈川県横浜市緑区西八朔町にあることが分かったのですが、私はその神社を相模国の神社だと思ってしまい、2012年に武蔵国の範囲を調べていて横浜が「武蔵国都筑郡」、川崎が「武蔵国橘樹郡」だったことを初めて知ったのです<(__)>。
武蔵国六之宮・杉山神社
この神社も台地の端の石段の上にありました。
「延喜式内社 武蔵総社六之宮」と記されていますが、ここは横浜市内で唯一の式内社だそうです。そして、ここもやはり足元には古代には海だった平地が広がっていました。
古代の海は、ここでは現在は鶴見川の支流の恩田川とその周辺の田園地帯になっているようです。