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「幻の環3」4  台地の端(はな)

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2018.4.19 「幻の環34  台地の端(はな)
 
播磨坂は江戸時代にはなかったそうですから、この坂は、環4のために新しく造られた甘泉園横の坂(元は細く急な大日坂)と同じように、環3のために道幅を広げ、傾斜を緩くして新しく造られた坂なのでしょうね。
 
傾斜が緩いうえに道幅がとても広かったので、ここを通る時「坂」であることをあまり意識していなかったのですが、この坂の高低差は10mあるのです。
 
かつて小石川が流れていた指ヶ谷の、豊島台側に作られた播磨坂は緩やかでしたが、谷を挟んだ対岸の本郷台側は急斜面になっています。その台地の端にあるのが小石川植物園なのですが、ここは元館林藩の下屋敷の「白山御殿」だったのですよね。
 
古東京湾の入り江(現・神田川)に面した目白台の端(はな)の「椿山(つばきやま)」には上総久留里藩の下屋敷(現・椿山荘)や肥後熊本の細川家の下屋敷(現・肥後細川庭園)などの大名屋敷が並んでいましたが、古東京湾の入り江に面した本郷台の端のここも「白山」と呼ばれていて、大名屋敷になっていたのです。
 
椿山荘
イメージ 1

 
肥後細川庭園
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小石川植物園は、台地の上に広がる植物園と台地の下の池や湿地のある日本庭園とその間を繋ぐハケの斜面とからなっていて、日本庭園の隣には移築された東京医学校の建物建っています。
 
東京医学校
イメージ 3
 
植物園のすぐ近くに簸川(ひかわ)神社があるのですが、この神社は、元は白山御殿の地にあったもので、御殿造営のためにここに遷されたのだそうです。
 
簸川神社
イメージ 4
 
この神社が遷され場所も台地の端で神社の横の簸川(氷川)坂はビックリするほどの急坂だったのですが、江戸時代の洪積台地から入り江だった沖積低地に降りるハケはどこも同じような急斜面だったようですから、対岸の播磨坂も江戸時代には、同じような細い急坂だったのだろうと思います。
 
イメージ 5

イメージ 6

 

霧島連山の硫黄山が今日250年ぶりに噴火したそうですが、新燃岳も引き続き活発な噴火活動が続いているようですから、やはり地球全体の動きが激しくなってきているのではないでしょうか<(_ _)><(_ _)><(__)>

 
 
 
 
 
 

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