富岡八幡の殺人事件の背景には「神社界の崩壊」という問題があるという見方がされているようですが、長野の善光寺の住職の小松玄澄貫主が3.31に解任されたというニュースもありましたから、崩壊し始めているのは神社界だけではないようです。
この住職も信徒から罷免を要求されていたようですが、このところの宗教界は、宗教ってなに?神職や住職ってなに?というような悟りなどは程遠い欲に絡む話ばかりが目立つようです<(_ _)>。
日本会議には神道系・仏教系・キリスト教系などさまざまな宗教団体が名を連ねているということを知って、それぞれの宗教はみな違うカミサマやホトケサマを祀っていて、信者獲得のシェア争いをしているのになぜ?と疑問に思ったのですが、「崩壊し始めた虚構」と既得権益を死守するためになりふり構わず大同団結したということでしょうか?
もともと日本では、八幡神が八幡大菩薩になったり、大国主が大黒様(シヴァ神の化身であるマハーカーラ)になったりしていますし、カミサマとホトケサマは、神仏習合で同じものだとされたり、廃仏毀釈で分離されたりと融通無碍ではあったようですが(^_-)。
昨日は大相撲の春巡業で、土俵上で意識を失って倒れた舞鶴市長の救急救命のために土俵に上がった看護師の女性に対して「女性は土俵から下りてください」との放送が繰り返されたというニュースがあり、今日は土俵上で挨拶したいと申し入れた宝塚市長(女性)が土俵に上がることを拒否されたというニュースがありました。
その根拠は「伝統だから」「相撲は神事だから」ということなのですが、それは後から人為的に作られた理屈で、江戸時代までの相撲は興業であって、神事からは程遠いギャンブル(相撲籤)の対象であり、抱え主の大名などへの忖度から勝敗が決まったり、星を合わせたりしていたようです。
千秋楽の「神送り」の儀式は伝統を変えてしまったのですから、「女性が土俵に上がってはならないというのは伝統だから変えられない」のではなく、伝統を口実に「変えたくない」ということでしょう(^o^) 。
けれど、この件に関しては「人命が第一」ということで、不適切な対応だったと謝罪することになったようですし、外国のメディアでも取り上げられて外圧もかかってきたようですから、頑迷固陋な男社会の相撲界も何らかの対応策を考えなければならなくなりそうですね。
宗教界のみならず「男が男のために作った不合理な文化」が全体的に綻び始めてきたようです。
昨日は、防衛省の隠蔽が発覚したとか、財務省が森友学園に口裏合わせを依頼して断られたなどの「あ~~あ」というニュースもありましたが、口裏を合わせたところで、4000台ものトラックが出入りしていたかどうかは、近所の人に聞けばすぐにバレてしまっただろうと思うのですけれどね~。