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パレオパラドキシアと古代の海

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2015.10.17 パレオパラドキシアと古代の海

 

Maggieさまからのコメントで、パレオパラドキシアは福島でも発見されていたことが分かったので、他でも発見されているのではないかと思って調べてみたところ、↓の情報が見つかりました。

 

↑によると、1923年から2006年までに、新潟・岐阜・埼玉・島根・石川・岩手・岡山・群馬・福島・三重・青森・東京の12県から出土していたようです。まだ発掘されていないだけのものもあるでしょうから、これからもっと増えるかもしれませんね(^o^)

 

パレオパラドキシアは海辺に生息していた生き物だったのですから、その化石が発見された場所はみな、その当時は内陸や山奥ではなく海辺だったということになりますよね(^o^)。それなら各地の発見場所を地図に落として行けば、少なくてもその当時にはその近くまでは海だったということの証明になるはずです\(^o^)/。

 

埼玉県からの出土数が多いようなので、埼玉県立自然の博物館にもパレオパラドキシアに関する展示があったのかな?と思って調べてみました。6年前にこの博物館に行った時には、私はパレオパラドキシア自体を知りませんでしたし<(__)>、埼玉に海があったことを確認できるかどうかということで頭がいっぱいだったので、カルカロドン・メガロドンや貝類の化石などばかりに気を取られていたようで、パレオパラドキシアのことは全く記憶にないのです。

 

そこで博物館のH.Pをみてみると、なんと!ちょうど今「パレオパラドキシア」の企画展を開催中で、パレオパラドキシアの三体の全身復元骨格の他、埼玉から発掘されたパレオパラドキシアの産状化石(化石が発掘された状態)のレプリカや、この化石から復元した骨格も展示されているそうです(^o^)

 

パレオパラドキシアについて詳しく知りたいわけではないのですが(^_^.)、この博物館は2012年にリニューアルしたそうですし、ちょうど今私が興味を持ち始めたジオパークの紹介コーナーや「さまざまな化石、岩石や鉱物、地層のようす大地の成り立ちがわかる地学展示」や「時間と空間をこえて埼玉3億年の旅」の展示があるようですから、改めて行ってみなければ(^o^)

 

私自身も「塩→大鹿村→中央構造線博物館」のつながりで6年前よりは視野が広がって、地質やプレートの移動などについての知識も少し増えましたから、6年前には見落としたものや理解できなかったことが分かるようになっているかもしれませんしね(^_-)

 

全国のジオパーク

イメージ 1

 中央構造線博物館で、この構造線が大鹿村から東に向かい群馬を通って鹿島灘に続いていることを知ったのですが、おがの化石館があった場所は「秩父ジオパーク」の中で、中央構造線はここを通っており、ここは中央構造線が見える場所だったのですね(^o^)。今度はジオパーク探訪に取りつかれてしまいそうな・・・・・(^_-)
 

化石館にあった秩父ジオパークの案内

イメージ 2

 
イメージ 5

恐竜センターで入手した下仁田ジオパークの地図 

イメージ 3

イメージ 4


パレオパラドキシアは、日本ではすでに35カ所から50体発見されているそうですから、2006年から2015年までに発見数はそれまでの3倍以上になったようですが、その四分の一は埼玉県から発見されており、「古秩父湾は1700万年前に誕生し、1500万年前に消滅した」のだそうです。秩父盆地は200万年もの間湾(海)だったことがすでに分かっているわけですね。

 

自然科学の分野では、このように謎とされてきたものの解明が日進月歩で進み、埼玉に海があったということはすでに常識になっているようで、恐竜センターでは恐竜時代のプレートの移動と大地の変動を説明する映像を小学生が熱心に見ていましたから、このような展示や映像を見て育った子供たちが大人になる頃には、私が5年前に書いた地形は変化していたということなどはきっと誰でも知っている常識になっているのでしょうね(^o^)

 

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それなのに歴史学の世界は未だに1300年前の『古事記』で止まったままのようで、「埼玉に海があったなどというのは奇を衒ったあなたの説にすぎない。そんなもので一獲千金でも狙うつもりなのか?」などとねぼけたことを言っているのですから(^o^)、歴史学者さんたちが唱えているようなつじつま合わせの説に納得できない子供たちが日本史離れをするのは当然ですよね(^_-)

 

子供達が自国の歴史を学ぼうとしないと嘆く前に、「学ばせよう(押し付けよう)としている非論理的な解釈の歴史」を正して、自国の歴史を納得できるものにする方が先だろうと私は思うのですけれど・・・・。

 

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