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水稲荷と穴八八幡76 神社は誰のもの?

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2018.3.26 水稲荷と穴八八幡76 神社は誰のもの?
 
「八幡宮宇佐宮御託宣集」によれば八幡神が示現したのは欽明天皇の時代だそうですが、このカミサマを先祖として6世紀から突然に始まった氏族はいないようですし、八幡神が応神天皇なら応神天皇の子孫が八幡神の子孫だということになるはずですが、そうなってもいないようです。
 
 『神と仏と鬼の郷』に載っていた田村圓澄氏(九州歴史資料館長)の「宇佐・国東の文化と信仰」によると、宇佐八幡を祀っていたのは渡来人の大神(おおが)氏や辛嶋(からしま)氏だったそうですから、応神天皇との関係もなかったようです。
 
神と仏と鬼の郷
イメージ 1
『古事記』では、「応神天皇の父は仲哀天皇、母は神功皇后」とされていますが、神功皇后は架空の人物としてすでに天皇の系譜からは削除されてしまっていて、神功皇后が15代天皇として在位していたとされる200270年は空白になっているのですが、『記紀』を信奉し、万世一系を信じる歴史学者さんたちは、そのことについて何も説明をしてくれません。自説に都合の悪いところは無視するということでしょうか(^_-)

 
「欽明期の571年に八幡神が3歳の子供の姿で示現し、自分は誉田天皇広幡八幡麿呂であると名乗った」というのは、聖武天皇に取り入るための宇佐八幡の神官の作り話だったようですね。欽明天皇は応神天皇の孫ですし、聖武天皇も応神天皇の子孫だったのですから(^o^)
 
それに、「天皇」という言葉が使われたのは、天武天皇の時からで、欽明天皇の時代には「天皇」ではなく「大王(おおきみ)」だったのですから、571年に示現したというカミサマが「誉田天皇」と名乗ったはずはありませんしね(^o^)
 
「カミサマ」を収益源にする神社の中でも特に権力(金銭?)指向が強かったらしい八幡宮はいろいろもめごとも多いようで、昨年末には富岡八幡宮で宮司の座を巡って殺人事件まで起きてしまいました<(_ _)>。事件の動機は、カミサマには係りのないオカネの問題だったようですが。
 
Wikipediaによれば、
 
「富岡八幡宮は勧進相撲発祥の地として広く知られており、地元民から八幡様の名称で呼ばれている由緒ある神社だった。富岡八幡は観光スポットとして年間30万人の集客力を見せ、数十億円の集金力がある金満な経済地盤があり、不動産収入でも隣の商業地やマンションから個別に数万の土地代が入ってくる裕福ぶりだった。」
 
そうです。宮司がいなくなってしまったのですから、普通なら神社本庁から新しい宮司が送り込まれてくるところなのでしょうけれど、富岡八幡はその直前に宮司の就任を巡って神社本庁と対立して離脱してしまっているのですよね。現在は責任役員会の決定によってナンバー2であった権宮司が宮司代理を務めているのだそうですが、宮司の決定権は誰に(どこに)あるのでしょうね?
 
「祖廟」ではない神社は誰のものなのでしょう?地元や氏子のものなのでしょうか?宮司を世襲していた富岡家やその親族のものなのでしょうか?宮司代理を務めることになった権宮司のものなのでしょうか?それとも神社本庁のものなのでしょうか?

誰が宮司になるのか、事件の原因となった莫大な収益は誰のものになるのかなどを巡ってまた争いが起きそうですね<(_ _)>
 
 
 

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