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水稲荷と穴八八幡75 神社の祭神と子孫2

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2018.3.25 水稲荷と穴八八幡75 神社の祭神と子孫2
 
旧家を名乗る人たちは、それぞれ自分たちの先祖としてカミサマを作り、神代から始まる系図を作ったようですが、宇迦之御魂神を先祖とする系図を作った旧家はないようですから、宇迦之御魂神は大和朝廷の支配層が自分たちの祖先として作ったカミサマではないのでしょうね(^_-)。それなら現在の伏見稲荷の祭神を山の上に祀っていたのは、『山城国風土記』が記しているように紀元前に渡来してきていた秦氏だったのかもしれません。
 
「宇迦之御魂神」の名前が文献に登場するのは室町時代以降のことだそうですから、それ以前は別の名前で祀られていたようです。秦氏が祀っていたのは、本当は誰だったのだろう?と伏見稲荷のH.Pを見てみたら、この神社は宇迦之御魂神も加えて5柱のカミサマを祀っているのだそうですが、そのうちの田中大神四大神は由緒がはっきりせず、地主神、あるいは土着神的傾向が濃厚な神だと考えられているのだそうです。それではこの地の秦氏が祀っていたのは「田中大神と四大神」のようですね(^o^)。四大神とは田中大神の4代の子孫ということでしょうか。
 
北九州の秦氏が祀っていた「八幡神」は、ハチマン神か、ヤワタ神か、ヤハタ神か、ハタタ神か、どう呼ばれていたのでしょうね?京都の秦氏は「ハタタ神」として祀っていたようですが。
 
高田馬場跡の「八幡鮨」は、元は穴八幡の下にあったのだそうで「ハチマン鮨」なのですが、御主人のお話では、早稲田大学の関係で九州のお客さんが多く、その人たちがみな「ヤワタ鮨」と呼ぶので、一時「ヤワタ鮨」と名乗っていたこともあったそうです(^o^)
 
八幡製鉄所とか八幡浜とか、地名にもなっている「ヤワタ」や「ヤハタ」の方がたぶん「ハチマン」より古いのでしょうね。
 
「八幡」がハチマンになったのは、宇佐八幡が八幡神を「応神天皇」に仕立てた時かもしれませんね。八幡神は欽明期に宇佐に示現して「吾は誉田天皇広幡八幡麿呂である」と名乗ったのだそうですから、秦氏の「ヤワタ(ハタタ)神」とは別のカミサマにしなければならないわけですし(^o^)
 
北九州では、応神天皇だということにされる前の「八幡神」は、福岡県田川郡の香春(かわら)岳に祀られていたようです。
 
日本列島に旧石器時代から住んでいた縄文人(アイヌの祖先など)は、自然を畏れ崇めても、祖先(ニンゲン)を神として祀ったり祖廟(神社)を造ったりはしていなかったようですから、そういった概念を日本列島に持ち込んだのは、縄文晩期頃から中国や朝鮮半島から渡来し始めた弥生人だったのだろうと思います。
 
ネコビタイ便り
 
桜が一気に満開になってしまったようなので、桜とカタクリを見に行ってみました。花は朝日が当たるときが一番美しいのですよね\(^o^)/。
 
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カタクリも一斉に開花し始めていましたが、こちらは完全に開花するのはもう少し気温が上がってからだったかな?
 
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