『バッタを倒しにアフリカへ』を読んだ時、最初に著者の前野・ウルド・浩太郎氏の「ウルド」ってなんだろう?と思ったのですが(^o^)、これは「○○の息子」という意味のモーリタニアの伝統的な名前で、信頼関係を結んだバッタ研究所の所長さんから頂いた名前なのだそうです。
それを読んで私は、アフリカでも人の名前の付け方は「○○の息子」だったのか!と思いました。というのは、現在は「姓と名」を持つのが当然のようになっていますが、元々は姓というものはなく、人の名前は「○○の息子」「○○の娘」というような呼び方をしていたようだと以前考えたことがあったからなのです。
天皇家には今でも姓はないのですよね。
サッカーのワールドカップを見ていた時、あるチームの選手の名前が「○○ビッチ」ばかりだったので、ビッチってどういう意味なのだろう?と疑問に思って調べてみたら、「○○の息子」という意味だということが分かり、さらにマッカーサー、マクドナルドなどのMcや、アンデルセンなどの「○○セン」や「○○ソン」なども同様に「○○の息子」という意味であることなどが分かりました。
その時の私は、アフリカ人の名前はほとんど知らなかったので、アフリカについては考えてみなかったのですが、アフリカでも名前は「○○の息子」という付け方をしていたのですね。ウルドはロシア語圏のビッチやイッチ、英語圏のMcやson、北欧のsen、モンゴルのギーンなどと同じもののようです。
けれどモーリタニアでは、誰でも誰かの息子なのだから「ウルド」は必要ないだろうということで、名前に「ウルド」を入れることが廃止(禁止?)されて使われなくなくなったそうで、バッタ研究所の所長さんも改名してしまったのだそうですが(^o^)。
日本ではもっと細かく何番目の息子・娘なのかまで付けていたようで(^o^)、太郎・次郎・三郎とか、一の姫・二の姫とか、大姫とか、大君・中君などは個人名ではなく何番目の子かを表していたようです。
例えば、八幡太郎義家は源頼義の長男、賀茂次郎義綱は次男、新羅三郎義光は三男ですし、九郎義経は源義朝の九男というように。
でも、数字が小さいほうが年長かというと、曽我兄弟は十郎が兄で五郎が弟なのですよね。なぜ?と疑問に思ったのですが、調べてみると、これにはちゃんと論理的な理由があり、やはり順番でした。
八幡太郎源義家の「八幡」って何?「太郎」って何?「源」って何?とれが姓でどれが名前なの?なぜ「みなもとよしいえ」ではなく「みなもとのよしいえ」なの?なぜ間に「の」が入る人と入らない人がいるの?なぜ姓や名前はしょっちゅう変わっていたの?など、姓や名前についてはいろいろ疑問があったのですが、これらにもちゃんと論理的な理由があったのです(^o^)。
ところで、「曽我兄弟の仇討ち」ってなんだったっけ?と調べてみたら、曽我兄弟が父の敵の工藤祐経を討ったというこの「仇討ち」自体は、工藤氏と曽我氏という別の氏族の争いではなく、同じ一族の身内同士の相続争いであったことが分かりました。
日本の時代劇でも韓国歴史ドラマでもおなじみのテーマですが、要するにこの手の争いの発端は男が複数の妻を持つことにあったようです<(_ _)>。なんだか複雑で分かりにくいこの「仇討ち」の経過を辿ってみたら、伊東・曽我・河津・工藤などの「姓」だと思われているものはみな所領の地名だということだけは良く分かりました(^o^)。