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水稲荷と穴八幡8

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2018.1.12 水稲荷と穴八幡8

 

勧請とは何をどうすることなのかが分からないのですが<(_ _)>、関東の八幡宮の由緒の多くは八幡太郎源義家が勧請したり創建したりしたことになっているようですから、勧請って簡単にできるもののようですね。でも、秀郷にしても義家にしても行く先々に「神社を造って回っていたはずはありませんよね~。

 

穴八幡由緒

 
イメージ 1

 

またこの由緒では、1062年に奥州の乱を鎮圧した源義家が凱旋の折にこの地に兜と太刀を納めて八幡宮を勧請したことになっていますが、同じようなオハナシはあちこちにあるのですよね。義家はそんなにたくさんの兜や太刀を常時持ち歩いていたのでしょうか(^o^)

 

例えば、世田谷八幡も源義家が奥州からの帰途に創建したことになっています。

 

世田谷八幡

 
イメージ 2

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関東の八幡宮は、なぜどこでも源義家が勧請したことになっているのかというと、源義家が「八幡太郎」を名乗っていたからなのでしょう。

 

それでは源義家はなぜ「八幡太郎」だったのかというと、義家は頼義の長男(=太郎)で、石清水八幡で元服したからなのですよね。賀茂神社で元服した次男(=次郎)は賀茂次郎義綱、新羅神社で元服した三男(=三郎)の義光は新羅三郎義光になっています。だから八幡社の由緒は義綱でも義光でもなく義家が勧請したことになっているのでしょう。名前の付け方にも、故事付けの作り話にも、ちゃんとそれなりの論理的な規則性や因果関係があるのです。

 

八幡宮の総本山は宇佐八幡ですが、宇佐のカミサマは権力が大好きで、権力のある所にはどこにでも進出し、まるで細胞分裂をするかのよう全国に広がっていったのだそうです

 

そういえば宮司職の争いから殺人事件にまで発展してしまった富岡も八幡宮ですね<(__)>

 

でも、権力が大好きということではお稲荷さんも負けてはいなかったようで、日本でもっとも数が多いのは宇佐を総本宮とする八幡社の4600社、二番目に多いのが伏見を総本社とする稲荷社の32000社だそうですが、早稲田でも八幡と稲荷は道を挟んでシノギを削っていたようですね(^_^.)

 

この源義家が勧請したことになっている穴八幡は、「穴八幡の参詣の栞」によれば元和(15691623)頃までは、神木の下に小祠があっただけだったそうです。寛永18年に南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現したので「穴八幡」と呼ばれるようになったのだそうですが、その神穴とはここにあった古墳の石室であり、その小祠は「源義家によって勧請された八幡神を祀る祠」ではなく、ここにあった古墳の被葬者を祀っていた祠だったのではないでしょうか(^_-)

 

その頃に将軍家世嗣誕生に際して奇瑞があったなどとして徳川氏の権力に取り入ることで江戸城北の総鎮護の地位を得、壮大な社殿の営繕が家光によって命じられたのだそうですが、この「権力が大好きなカミサマ」が徳川氏の権力に近づく原資になったのは「神穴」から出土した豪華な副葬品だったのかもしれませんね(^_-)

 
 
 

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