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鹿塩村の塩とプレートテクトニクス

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2015.10.8 鹿塩村の塩とプレートテクトニクス
 
なぜ塩見岳も赤石岳も「塩の山」だったのではないかと考えたかというと、「塩」の付く地名が多いことと、鹿塩村には古代から実際に塩があったわけですが、その塩がどこから来ているのかは謎になっているそうだからです(^o^)
 
鹿塩温泉の塩水
イメージ 1

 
イメージ 2

先に書いたように、地球上の陸地を均していくと地球全体が深さ2400kmの海になってしまうそうですし、ヒマラヤの4000m以上のところや、ボリビアの3700mの所などの標高の高い所や中国の解池のような内陸にも塩湖があり、イギリスにもポーランドにもアメリカにもサハラ砂漠にもモンゴルにも、たくさんの国に岩塩や塩湖があることから考えると、地球には初めは海だけがあって陸地は無く、陸地は全て海底から隆起してきたのではないでしょうか?そして隆起した陸地の間に取り残された海が塩湖となり、乾燥地帯ではやがて塩原や岩塩になっていったのではないかと思います(^o^)
 
最近まで、地形については噴火による隆起などの垂直運動でしか考えられていなかったようですが、実際にはプレートの移動による水平運動の方がずっとダイナミックで、プレートの移動によって遠くから運ばれてきたインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し、押し上げられてできたのがヒマラヤ山脈でしたよね(^o^)
 
このプレートの移動は、インドだけではなく地球上のすべての場所で起きていたのです。
 
日本列島は、南から移動してきたプレートがユーラシア大陸の東側に衝突し、冷えて重くなったプレートが沈み込んでいくにつれて、上に乗っていた軽い部分だけが剥ぎ取られて次々に大陸側にくっついて付加体となり、やがてこの付加体が大陸から剥がれてできたのだそうで、伊豆半島はフィリピン海プレートに乗って南から運ばれてきた火山島が日本列島にくっついて半島になったのだそうです。
 
遠い海からやって来た南アルプスの石
イメージ 3 
 
日本列島は全て、どこかからプレートに乗ってやって来た陸地が寄り集まって成り立っているようですから、南アルプスの塩見岳も赤石岳も初めからここにあったわけではなく、遠い所から長い時間をかけて運ばれてきたわけですね。陸地が全て海底から隆起してできたものであるなら、雨量の多いこの地域まで運ばれてくるまでは南アルプスの山々にも他の国々と同じように塩湖や岩塩があったのではないでしょうか。プレートの動きは年に数㎝程度のようですから(^o^)
 
年間雨量がほとんどないサハリ砂漠では、その塩湖の塩は大量の層状の岩塩になり、年間雨量が120mm位のソルトレイクでは海水より濃い塩湖と周辺に広がる広大な塩原(ソルトフラッツ)になり、年間雨量が50mmのデスバレーでは、「デビルズゴルフコース」と呼ばれる塩の結晶が盛り上がった亀の甲羅のような地形を作り、まるで氷河のように見える、塩が厚く積もった「塩の川」を作っているようです。
 
デビルズゴルフコース
 
イメージ 4

ここでは遠くの山の雪が地下水となって流れ込み、塩が溶解と再結晶を繰り返しながら成長しているのだそうです。
 
塩の川 この谷は200km以上続いているそうです 
イメージ 5

片平孝著『地球塩の旅』より
 
このデスバレーには西半球で最も海抜の低い地点として知られる海抜下86mのバッドウォーター・ベースン(盆地)があり、世界で最も気温が高くなる場所のひとつであるこの盆地はかつて塩湖だったそうですが、その広大な塩湖は干上がって塩の堆積する盆地となり、この盆地には周囲の山から地下水に溶け出した岩塩が流れ込み続けているのだそうです。陸地はこれほど大量の塩を内包し続けていたのですね。
 
乾燥した地域では塩原や岩塩となって陸地に滞留し続けている塩ですが、年間雨量が多い日本ではほとんどが雨に溶けて流され、海に戻ってしまったのではないかと思います。その太古の陸地が内包していた大量の塩の名残が各地にたくさん残る「塩」の付く地名であり、会津や鹿塩に今も湧き続けている「塩井(湯)」なのではないでしょうか(^o^)




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