2017.12.14 地球は熱湯の惑星だった?9 貝塚と海
埼玉や群馬にある貝塚はみな、行ってみたら高速道路を使ってもかなりの時間がかかる現在の海からは遠い所にありました。
貝は重いし腐りやすいのに、徒歩か手漕ぎの舟しか移動手段や輸送手段が無かった頃に、わざわざ何十km も離れた内陸まで運んだりしていたはずはないから、貝塚がある所は魚や貝が豊富に採れる海辺だったに違いないと私は一般人の普通の感覚考えたのですが(^_-)、学者さんたちは、現在の海から貝塚がある場所まで何km も何十km も貝を運んでいたのだと思い込んでいるようです(^o^)。
世田谷の瀬田貝塚(東京都世田谷区瀬田1丁目行善寺坂付近)
ここには、海まで往復10kmも歩いて潮干狩りに行ったのだろうと書いてありますが、どこでも「貝塚」に残されている貝の量は、たまに遠くの海まで潮干狩りに行って採って来たというような量ではないのですけれどね~
加曾利貝塚( 千葉県千葉市若葉区桜木)
こちらには、海から6.5kmも遡って(往復13kmですね)運ばれた貝が日本最大の貝塚を作ったと記されています。
でも、このくらいの距離であれば「往復して運んだと考えてよい」のかもしれませんが、海から50km 以上も離れた所にある貝塚についてはどう考えているのでしょうね?自分の研究対象の範囲の外のことなど考えてみたこともないのでしょうか(^_^.)。
本当に歴史解釈って目先の小さな部分、部分のつじつま合わせばかりで全体としての整合性など全く考えられていないようなのですが<(_ _)>、楽をするために常に工夫や発明を重ねてきたニンゲンが、わざわざ重い貝を何十kmも運ぶような非効率なことをしていたはずはありませんよね(^_-)。楽をするための工夫や発明は、昨今では全てをロボットにやらせることによってニンゲンから働く場や機会を奪ってしまいそうなところにまで来てしまっているほどなのですから<(_ _)>。
学者さんたちが、「古代人は何十kmも歩いたり川を遡ったりして貝塚のある場所から海まで往復していたのだ」と信じきって他の可能性を考えてもみないのは、3万年前の航海再現実験を現在の海でしている科学博物館のチームの人たちと同じように、陸や海は永久不変だと思い込んでいるからなのでしょうけれど、見る眼を曇らせ、判断をあやまらせる思い込みって本当に厄介ですね~。
このブログとしては、今年の流行語大賞はやっぱり「違うだろ、違うだろ~~~!!」かな(^_-)。