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Channel: 歴史探訪
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中央構造線と糸魚川静岡構造線

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2015.10.5 中央構造線と糸魚川静岡構造線

 

杖突峠から諏訪の遺跡に飛んでしまいましたが戻ります。9.28の続きです。

 

大鹿村へ向かう152号線は古い道のようだから川に沿った谷を通る道だろうと予想したのに、その予想に反して山を登る道だったことには驚いたのですが、諏訪盆地を見下ろす杖突峠を越えると道はやはり谷に沿った道になっていました。

 

5年前に「古代の地形から『記紀』の謎を解く」には、諏訪湖から新潟の糸魚川と静岡の富士川河口に向って谷が刻まれているのは、天竜川に流出口ができる以前に諏訪湖からあふれ出した水が糸魚川静岡構造線に沿って刻んだ谷なのではないか?との推理を書きました。

 

新潟に行ったことのなかった私は、糸魚川市には「糸魚川」という川の河口があるのだろうと思ったのですが(^_^.)、調べてみるとそういう名前の川は無く、この谷を流れていたのは姫川だったので、 それでは糸魚川というのはいったい何なのだろう? なぜそこは「姫川市」ではなく「糸魚川市」なのだろう?・・・・と私の中の「なんで虫」と「納得できません虫」が騒いだのです(^_-)

 

そういえば、新しく始まった朝ドラでは、「なんで女は木登りをしたらあかんの?」「なんで女は相撲を取ったらあかんの?」と「なんで?なんで?」を連発して叱られてばかりいる主人公に、お祖父ちゃんが「長いものに巻かれずに、立ち止まってなんで?と考える人間が世の中を変えていくのだ」と言っていましたっけ(^o^)

 

この子は「なんで女は学問をしたらあかんの?」とも言っていましたが、これは、古代からどこの国でもたくさんの女の子が持った疑問ですよね(^_-)。少し前にはアフガニスタンのマララ・ユスフザイさんが同じ疑問を持ったことで銃撃されるという事件が起きましたが、子供の疑問を侮ってはいけません。子供の感じる疑問は根源的な疑問であり、その理由を子供に明快に説明して納得させられないとすれば、それはその「オトナ(男)の論理」が非論理的だということなのです(^o^)


子供が納得できなくて嫌う「日本史解釈」も根は全く同じです。
 

閑話休題。古代の諏訪湖から流れ出していた水は、800mの高さに天竜川の流出口ができて湖面が下がった後は、900mのところにあった岡谷と茅野の二つの流出口からはもう流れ出すことは無くなったわけですが、それまでに刻まれていた谷に周辺の山々からの流入していた水は、日本海側へは姫川となって、太平洋側へは釜無川、甲府からは笛吹川が合流した富士川となって流れ続けていますから、「糸魚川」は岡谷に流出口があった頃の川で、名前だけが地名として残ったのではないか?と考えました(^o^)

 

そしてこの時に推理したように、この二つの谷が糸魚川静岡構造線の断層面を水が削って刻んだ谷なのであれば、中央構造線に沿っても谷が刻まれているのではないか?と考え、中央構造線に沿って谷が刻まれているかどうか、谷が刻まれているとすればどのように刻まれているのかを確かめたいと思って152号線を通って大鹿村の「中央構造線博物館」へと向かったのですが、行ってみたら、なんと大鹿村へ行くために辿っていたその152号線の通っている谷が中央構造線沿いに刻まれた谷そのものだったことが分かりました(^o^)

 

南北に伸びる谷

イメージ 1

 
イメージ 2

そういえば私は、大鹿村に中央構造線博物館があることを知って行ってみようと出かけるまで(つまりその当日まで)中央構造線について考えてみたことがなく、その構造線がどこをどのように通っているのか知らなかったのです(^_^.)

 

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