2017.12.4 山中地溝帯と海46
「フォッサマグナ陥没説」も「山中地溝帯海進・海退説」も、素人考えでも全く納得できないな~と思って、あれこれ納得できる説明モデルを探しているうちにプレートテクトニクスに行き着いたわけですが、買い込んであったジオパークに関する本見ていたら、「秩父・長瀞」の項でその理由が分かりました。それらの説は、プレートテクトニクスの考えが普及する1980年以前に作られたものだったようです。
「山中地溝帯」の両側の「秩父古生層」と記されている古い地層は、秩父地方の研究で石灰岩から古生代ペルム紀の紡錘虫化石が産出したため「秩父古生層」と呼ばれていたのだそうですが、
後にこの石灰岩は中世代ジュラ紀付加体の中の岩塊であったことが分かって、「秩父古生層」は歴史の中の名称となったのだそうです。つまり「秩父古生層」というものは存在しないし、その言葉自体も、もうずいぶん前から使われていないということなのですね。
でも、私が2015年に購入した資料には↑のように使われていました。歴史的名称を知るために古書店で買った訳ではなく、新しい知識を求めて購入したものだったのですけれどね~<(_ _)>。
次々に新しい発見があり、より納得できる新しい理論も日進月歩で出てきているのに、資料や展示や考え方は30年も前に作られたものや唱えられていた説がそのままになっているということなのでしょうか<(__)>?
それでも自然科学系の「説」は、少なくても疑問を持って調べてみれば新しい知識を得ることができましたから、1300年前の『古事記』のウソや、本居宣長が荒唐無稽な解釈をした『古事記伝』をそのまま信奉し、その上にさらにつじつま合わせの解釈を積み重ね続けている古代史の「諸説」よりはずっとましなようですが・・・・・
それにしても、本当にそうなのかどうかを考えてみることもしないままに、無意識や受け売りで「そうなのだ」と思い込んでいることってとても多いようですね<(_ _)>。
大部分の人が納得していなくても、「○○大学の××先生がこう言っている。こう書いている」という肩書信仰は根深いようで、未だに「フォッサマグナ陥没説」が蔓延しているのも、「ナウマン信仰」の一種なのではないかと思うのですが(^_-)。