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山中地溝帯と海36 3万前の航海8

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2017.11.23 山中地溝帯と海36 3万前の航海8

 

台湾海峡の西岸の福建省では、「海岸は曲折していて天然の良港が多く、沿海には大小合わせて300以上の島々がある」そうですが、こちらは大小合わせて700以上の島があるという瀬戸内海とよく似ているようです。

 

瀬戸内海の成り立ちも台湾海峡と同じで、ウルム氷期の最盛期には本州と四国は陸続きであり、海面の上昇とともに低地から海になっていって、やがて当時140150m以下だった所は全て水没して瀬戸内海の水面下になり、それより高かった部分だけが周囲を水に囲まれた島となって見えているのかもしれません(^o^)

 

そう考えて、3万年前の瀬戸内海はどうだったのだろう?と瀬戸内海の水深を調べてみると、やはり水深は浅いようで、特に周防灘・伊予灘・安芸灘・燧灘・備後灘・播磨灘 などの「灘」と呼ばれるところは水深1550mと浅く、平均31mだそうです。


さらに瀬戸内海には「水道」と呼ばれている所が22か所あって、この「水道」の水深は150m前後のようですから、ウルム氷期の最盛期には、灘や水道は陸地であり、今は周りを海に囲まれた島である四国も台湾島と同じように、ウルム氷期の最盛期には対岸の本州と地続きだったようです(^o^)

 

東西の速吸の瀬戸や鳴門海峡は水深が深く、外海に繋がっているのも台湾海峡が南北の2カ所の深い水道で外海に繋がっているのと同じですね(^o^)。やはり四国も台湾島と同じように海面が上昇したために島になったようです。

 

「水道」とは両側の陸地によって狭められた水域で、水の流れる道、あるいは船の通り道という意味なのだそうですが、海峡も瀬戸も両側の陸地によって狭められた水域のことですよね?それらをどう区別しているのかがよく分からないのですが<(_ _)>、感覚的には「海峡>瀬戸>水道」のような気がします(^o^)海峡のうちで特に幅の狭いものを「狭門(せと)」と言っていたようですし。

 

最初は細かった水道が、海面の上昇につれて幅が広がって瀬戸になり、100kmを超すような海峡になっても言葉だけはそのまま残っていたということでしょうか(^o^)。例えば、「豊予海峡」は「豊後水道」・「速吸瀬戸」ともいうそうですから。

 

「瀬戸内海」も固有名詞ではなく瀬戸の内側の海のことであって、元は「瀬戸のうちうみ」だったようです。


武蔵国倉城郡(横浜市)にもあった「瀬戸」と「瀬戸内海」


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ネコビタイ便り
 

皇帝ダリアの蕾はまだ小さいのですが、ダイヤモンドリリーは年々数を増して今が盛りと咲いています(^o^)。お昼過ぎに昨夜から続いていた冷たい雨が止んで陽射しが出てきたら、花びらと花びらに付いた水滴が一斉に輝き始めました。

 
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でもその輝きを写し取ることはできないのですよね<(__)>。白く抜けてしまったところがキラキラと輝いていたところなので、想像してみてください(^_-)




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