2017.10.29 山中地溝帯と海12 十石街道2
2009年に行ってみた時、金鑚(かなさな)神社の「金鑽」の語源は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」であろうということを知って、神流(かんな)は製鉄の鉄穴(かんな)なのではないかと考えたのですが、鉄穴流しが盛んになったのは江戸時代のようなので、古代にも鉄穴という言葉があったのかどうか分かりませんね<(_ _)>。
今回は、山中地溝帯は埼玉県の古秩父湾から長野県の佐久穂町まで続いていた海の跡で、大国主の時代(2~4世紀頃)にはまだ海の跡が水路(川)となって長野から埼玉に続いており、タケミナカタやその子孫達はこの水路を使って長野から埼玉・群馬・栃木方面に広がっていったのではないか?と考えたのでこのルートを行ってみることにしたのです。
299号線も93号線も川に沿って群馬県から長野県に続いており、先日行ってみた93号線は、群馬の下仁田からタケミナカタの12番目の子のオキハギノミコトが「開拓の神」として祀られている佐久市田口の新海三社神社に向かっていましたし、
299号線は佐久穂町海瀬からさらにタケミナカタの宮があった茅野市の諏訪大社に向かっているのですよね。
上側の緑の横線が93号線で、下のピンクの横線が299号線ですが、どちらも長野県側では途中からバイパスの広い道が造られていて、93号は臼田駅、299号は海瀬駅に向かっていました。
このルートは、タケミナカタやオキハギやその子孫達が通った道ではないかと思いながら佐久穂町の地図を見ていたら、299号線の南側にタタラ遺跡が載っていました。いつごろのものなのか、大国主と関係があるのかどうかは分かりませんが(^_^.)。
神流川に沿って神川町・神泉村・神流川・神流町・神ヶ原などの「神」の付く地名がたくさんあるのは、もしかすると製鉄と稲作の技術を持ってやって来て、各地で「開拓の神」として祀られているタケミナカタの子孫たちの移動や拡散と関係があるのかもしれませんね(^o^)。
十石街道を神流町に向かうに従ってだんだん山が深くなってきて、ゴツゴツした岩の山頂が見えてきたのですが、岩が剥き出しになっている山頂を見て「山って木や土でできているんじゃなくて岩でできているんだ」ということを実感しました(^o^)。岩が縦になっているように見えるのはプレートの圧力で岩が褶曲して押し上げられたのでしょうか?
ゴツゴツの岩山 手前が叶山で、奥の岩が二つに割れているように見えるのが二子山のようです
荒船山の山頂の岩は圧巻でしたが、似たような山頂は他にもあったのですね。
荒船山の山頂の艫岩