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山中地溝帯と海7 中央構造線4

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2017.10.23 山中地溝帯と海7 中央構造線4

 

関東平野では新第三紀と第四紀の堆積層の下に埋まってしまっているという中央構造線は、関東平野中央部での深さ3000mに達するボーリング調査によって、埼玉県岩槻市のやや南方を通っていることが確かめられたそうですが、その東方の通過位置は正確には分かっていないのだそうです。

 

でも、三波川帯や領家帯が千葉・茨城の県境の辺りにあることは分かっているようですから、分からないのは岩槻から銚子までの間で関東平野のどこを通っているのかということでしょうか?

 

中央構造線の南側に沿って分布する三波川変成岩は、関東山地によく露出していて埼玉県長瀞はその代表的な露出地であり、中央構造線の北側に沿って分布する領家変成岩や花崗岩は、筑波山に露出しているのだそうですが、その北麓の真壁町は昔から真壁石とよばれる花崗岩の産地として有名で、日本有数の石材業の町だったそうで、今も蔵や門などの歴史的建造物が並ぶ古い街並みが残っていますし、

 

古い街並みの商家の店頭にお雛様が飾られる真壁町の雛祭り(2007年撮影)


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薬王院の山門と三重塔

 
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真壁城址の土塁と筑波山(2012年撮影)


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真壁の北西にある稲田も白御影石の山地として有名で、東西約20㎞、南北約10kmの通称石切山脈と呼ばれる広大な地域の地下にはどれだけの深さまで御影石があるのか未だ解明されていないそうですから、領家変成岩が露出している筑波山とその北側の真壁や稲田の御影石産出地帯は、この中央構造線の北側の領家変成岩帯なのではないでしょうか?

 

それなら領家帯と三波川帯とは構造線を挟んで北と南にあるのですから、構造線は論理的には領家帯のある筑波山と、「三波川帯のある長瀞と銚子を結んだ線」の間にあるのではないかと私は思うのですが、中央構造線か確認されたという岩槻市(現さいたま市岩槻区)の南方というのは、この長瀞と銚子を結んだ線よりもずっと南なのですよね。

 

領家変成岩帯と三波川変成岩帯の分布から考えて、私は、中央構造線は比企丘陵の北縁から南東の岩槻ではなく、北東の利根川の方に向かっているのではないかと思うのですが。

 

岩槻でのボーリング調査によって何が分かり、なぜ中央構造線かここを通っていると確認されたのか、それは本当に構造線の存在を示すものだったのかが私は分からないのですが<(_ _)>、岩槻から東では所在がはっきりしないということは、確認したという場所は中央構造線ではないのではないでしょうか(^_-)

 

東日本大震災の後、東日本では何度も地震が起きていて、「震源地は茨城県沖」と発表されることも多いのですが、茨城県沖には太平洋プレートと陸のプレートの境界があって、M 6.77.2の地震が繰り返し発生しているのだそうです<(__)>。中央構造線は岩槻の南方ではなく、茨城と千葉の県境のあたりを通って鹿島灘の沖のプレートの境界の方に向かっているのではないかと私は思います。

 

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